→短編・消しゴム
帰宅ラッシュで混みあった電車の車内に、響き渡る幼児の声。どうやら不機嫌が臨界地点に達したらしく、泣きわめいている。火がついたような甲高い声は、一向に収まりそうにない。
初めは仕方がないと見守っていた乗客たちに、苛立ちが募り始めた。「ラッシュ時の電車に乗ってんなよ」「さっさと泣きやませろ」心の無い心の声が、車内に充満する。
私は少し離れた場所で本を読んでいた。しかし今や、子どもの泣き声にあてられて集中力が削がれてしまった。正直、やかましいと思った。次の駅で親子が下車しないなら、自分が降りようとすら考えていた。
首を回すと、人と人の間から母親と子どもが見えた。母親が子どもを抱えている。声の様子や顔の造作から推測するに、2歳児くらいだろうか? 母親の苦労むなしく、さらに大きな声をあげて子どもはむずがった。
周囲全員が敵とは言えないが、四面楚歌に近い状態だ。
そこへ、彼らの近くに立っていた一人の女子高生が、母親に何かを話し始めた。話が進むうちに、非難覚悟で緊張していた母親の顔が、次第にほころんでゆく。
そうして女子高生は、カバンから取り出したものを、まだ泣きやまない幼児の手に握らせた。
「コレを持ってると、ご機嫌になれるんだよ〜」
女子高生の明るい声と手渡されたものに注意が向いた幼児が泣きやんだ。
「ようちゃん、良かったねぇ。お姉ちゃんが消しゴムをくれたよ」
母親がすかさず畳み掛ける。幼児が何かを言ったようだが、私には聞こえなかった。しかし女子高生の「いっぱい遊んでくれたら嬉しいな」という返答からみるに、感謝の言葉だったのだろう。
どのような消しゴムを渡したのか気になっている私のためてはないだろうが、幼児が手を振り上げた際に、その手の中に収まる🌈が見えた。
どうやら、私の他にも気になっていた乗客は居たようで、あちらこちらの注目が幼児の手に集まっている。
さっきまでギスギスしていた車内の雰囲気は、🌈の消しゴムで一転し、穏やかさを取り戻した。私も読書に戻ることにした。
次の駅までの間、電車は女子高生の繋いだ虹の架け橋を渡ってゆく。
テーマ; 虹の架け橋🌈
9/22/2025, 6:53:39 AM