「ただいま。」
首元に伝う汗を拭い、窓横で船を漕いでいる彼女に話しかけた。しかしその彼女は変わらず整った寝息を守り、お気に入りのロッキングチェアをゆらゆらと揺らしているだけ。それもそうだ。繊細な彼女の聴力はここに来る少し前、娯楽に飢えた悪魔に奪われてしまったのだ。それからはいつも手と紙を通し、音を持たない会話だった。今更出会った頃の彼女を恋しがるなんて、僕はどれだけ寂しい人間だろうか。彼女が僕にくれる愛に罪悪感を覚えながらももう一年が経つ。早まる日の出に、蒸しかえる夜に僕の後悔はドンドン膨れ上がっていくばかりだ、あの時君を抱きしめることが叶ったらこんな事にはならなかった。逸る鼓動を唾と共に飲み込み彼女の肩を叩く。
『 お は よ う 』
口パクと同時に手を動かし彼女にそう伝える。彼女は少し面食らったような顔をしてから僕に飛びついた。
「 お か え り !」
たどたどしくも無邪気に伝えようとする彼女の姿に笑みが溢れる、僕のシャツをグッと握る彼女を抱き寄せた後、その白い唇にキスをした。これから最後になるなんて、彼女は微塵も知らないんだろう。僕の腕から離れた彼女は分厚い板で閉じられた窓を指さし言った。
『 そろそろお花も芽を出すかしら 』
ああ、君には本当に悪い事をした。お花が好きだった君のために花壇を作りたいんだ、でもサプライズじゃなきゃ面白くない。だからこの窓は閉じておくね。そう僕が伝えた日の君は本当に嬉しそうだった。春が来るまで毎日毎日日付を数えていたけど、家の中に外の光が届かなかったから、僕が帰ってくる度日付に丸をつけていた。きっと僕が毎日君に会いに来てると信じてたんだろう。外は戦火の真っ只中、花壇を作ろうと言っていた庭なんてとっくに枯れきってしまった。君は音が聞こえないから、目さえ塞いでしまえば分からないと思ってたんだ。君には何も知らずに笑っていて欲しかった。戦争の火がこっちにも回って、もう今日が最後だ。僕は一年以上かけて作った999本の枯葉でできた向日葵を妻に渡した。君はその花束を受け取って微笑んだ。
『 私、向日葵が一番好きなの 』
そうだ、君がそう言ってたから向日葵を渡した。
また、君は同じ事を言って涙を流した。
地面がガタガタと揺れ視界一面が真っ白になる。意識が途切れる間際君は僕を抱きしめこう言った。
「 わたしあなたといられてしあわせだった」
___クチナシの楽園
5/1/2023, 5:49:10 AM