秋埜

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 たとえば、あなたが指をパチンと鳴らしたとしよう。私が指を弾いても皮膚の擦れ合う音しかしないが、あなたは小気味よく鳴らしてみせる。そのちょっとした動作の間に六十五の刹那が過ぎ去っていった。刹那とはそんなにも、呆れるほどに短い時間だ。
 その短い時間の過ぎる間にも、人の心は移り変わっていくのだと古人は説く。諸行は無常。変わらない気持ちなどあり得ない。
 故に私は言葉を綴る。この一刹那の感情が、それでも真実だったと証すために。刻一刻と変わりいく心が完全に違うものへとなってしまう前に。タブレットに触れた指先に、私の想いのすべてを乗せる。
 テキストだけで構成されたファイルを、私は私に振り分けられた個人フォルダの一番奥深い階層に埋めるだろう。厳重に鍵をかけて。
 古い地層に埋もれた骨が宝石質の鉱物に置き換わっていくように、私の言葉たちは人知れず結晶していく。私もあなたも過ぎいく時間の波に呑まれて消えてしまっても、言葉は残る。私は刹那を永遠にする。
 心は変わっていく。多くの言葉を費やすことはできない。ならば私が第一に記すべき言葉はひとつしかない。
 あなたを愛している。


 心は変わっていくと、貴女は言いました。きっと、それは正しいのでしょうね。貴女は歴史とか哲学とか沢山の本を読んでいて、色々なことを知っているから。
 貴女とそんな話をした後で、私は私の今の気持ちをノートに綴ることにしました。
 ペン先をインクにつける間にも、インクが紙に染み込んでいく間にも、心が変わっていってしまうとしたら。紙にペンで文字を書いていくなんて、非効率的だと貴女なら言うでしょう。それに、紙が水に濡れたりしたら、あるいはインクの瓶を倒してしまったら、文字は二度と読めなくなります。長い時が経てばインクは薄れ、紙は脆くなる。何かの弾みに火に投げ込まれてしまうことだって、ないとは言えない。
 でも、いいの。私が想いを綴るのは、長く残すためではないから。気持ちを言葉にして記すのは、証明するため。今の私より明日の私の方が、貴女をもっと大好きになってるってことを比較検討するためだもの。
 永遠なんていらないでしょう?貴女も私も世界のどこにもいないのに、気持ちだけ残るなんて無意味だと思いませんか。
 心は変わっていく。そうね、貴女は正しい。貴女に向かう私の気持ちは刻一刻と大きくなっていきます。際限なく膨らんでいって、いつかこの胸は破裂してしまうかもしれません。その時には世界も一緒に終わってしまえばいい。
 そんな気持ちを貴女はきっと、刹那主義だと笑うのでしょうけど。

4/28/2023, 1:43:18 PM