花鈴

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「さようなら」と元気に挨拶をして、みんな笑顔で帰っていった。

土日を挟んで翌月曜日
〖1995年1月17日〗
阪神淡路大震災が幼稚園を、私の家を、子ども達の家を襲った。

家が崩れて道を塞ぎ、なんとか園にたどり着き、子ども達の家を安否確認のために一件一件回った。殆どが留守で『小学校に避難しています』『大阪の親戚の家にしばらく避難します』という貼り紙があると、とりあえず命は助かったと安堵する。倒壊した家屋の前で呆然と立ち尽くす。避難先となっている小学校や中学校へ走る。
そんな生活を2週間ほど続けぼろぼろになった私達に残酷な知らせが届き始めた。怖く痛く悔しい思いをしながら亡くなったのであろう小さな命。


それでも私達は生きて行かなくてはならず、命の助かった者として懸命に動き、なんとか園の中を整え、半分を避難所にあて、半分で通える子ども達だけ保育を始めた。せめて、幼稚園に来てる時間だけは、安心して楽しめるように。明日を楽しみに出きるように。

「明日も一緒に遊びましょう。
さようなら」祈りを込めて
そう言って見送った。

だから今でも私はさようならを言う前に必ず『また会いましょう』を言うようにしている。祈りが届くように。






#さようならを言う前に

8/20/2024, 12:55:55 PM