何かを得ようとすれば、別の何かを喪う。
それがたとえ、欲しくないものでも。
握りしめた掌の、指の隙間から零れ落ちていってしまう。
そして、それはもう、掌には戻ってこない。
どれだけ大切にしていようと。
どれだけ戻ってきてほしいと願おうと。
もう、かえってこないんだ。
“それ”は、まだ先の事だと思っていた。
否、近い未来に“それ”は起こると薄っすらと感じてはいた。
でも、こんなに何の前触れもなく、ある日突然だなんて信じられなかった。
少しずつ。
そう、少しずつ、死の匂いを漂わせながら穏やかな日々を送っていくものだと。
静かに看取るものだと、そう思い描いていた夢想は儚く散ってしまった。
静寂に包まれた院内を靴を鳴らしながら急ぐ。逃げなどしないのに。
冷たい銀色の扉を開いて、乱れた息のままに薄暗い室内へと入る。
キツい消毒の臭いに混じって、死の臭いがした。
テーマ「さよならを言う前に」
8/20/2023, 1:43:11 PM