望月

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《手ぶくろ》

 決闘——当事者双方の合意の下、予め定めた規則に従い行われる闘争。
 そして、左手の手ぶくろを投げ付けたらそれは、決闘の申し込みだ。
「……なんの真似だ、これは」
 肩に当たり地面に落ちた手ぶくろを見て、レオンハルトは困惑の声を漏らした。
「あら、この行為の意味もご存知ないのかしら?」
「わかっているからこそ、聞いているんだ」
 飛んで来た方に視線を向けると、フィーネがいた。
 彼女はこの王国中の貴族達が通う王立学園で、入学時からトップの成績を維持している公爵令嬢だ。
 対するレオンハルトは、身分こそ王族と最高権力を誇るが、一年間二位の座に留まり続けていた。
「でしたらどうぞ、拾って下さる?」
「それでは貴女の決闘の申し込みを受けることになってしまうのだが」
「ええ、そうですわ。受けろと言っているの」
「何故そんなことを?」
 フィーネが学年一の才女であることくらい、誰でも知っている。わざわざ決闘で勝敗を示す必要はあるのだろうか。
 そう思い口にした言葉に、
「殿下が私に勝ちを譲っているのではないか、と噂されることはご存知でしょう?」
「いや、そんなことは……」
「ない、と殿下が言ったところで噂は消えません。それだけではなく、私が殿下に色目を使っているから殿下は私に甘い……という下衆な噂も広まっている様で」
 なるほど、道理で最近よく視線を集める訳だ。
 レオンハルトは王族だからと注目されることが多々あったし、フィーネも才色兼備の公爵令嬢とあって注目されることが多かった。
 それ故に、その二人の関係性を勘繰る者がいると。
「状況はわかった。つまり、決闘の結果を新たな噂の火種として、過去の噂を打ち消すのか」
「そういうことです。十分な話題でしょう?」
「十分過ぎるほどにな」
 噂を打ち消す為に、もっと食いつき易い餌を与えてやるのは有効だろう。
 今立っている噂がレオンハルトを貶めるだけならば問題ないが、フィーネまでも印象を悪くされている。
 己の努力の賜物に対し、不正を疑われ続けるのも業腹だろう。
 少し考えてレオンハルトは、足元に落ちた手ぶくろを拾った。
「……仕方ない。名誉の為だ、受ける他ないだろう」
「ふふ。決闘を受け入れて下さったこと、感謝致します、殿下」
 丁寧にお辞儀をして、フィーネは微笑んだ。
「ただし、条件がある」
「なんでしょう?」
 フィーネに向かって指を三本立てる。
「一つは、周囲に誰もいない場所で行うこと。他者の目線があるとやりにくいからだ。二つは、フィーネ嬢の勝利を宣言すること。そして三つは、決闘の内容を他者に漏らさないこと。四つは、規則は全てフィーネ嬢が決めることだ」
「……そのくらいなら構いませんわ」
 不思議そうに承諾したフィーネは思案して、
「でしたら規則は、制服着用の上、剣と魔法の双方を用いて戦うこと。全力を出すこと。そして、相手の首に剣を沿わせた場合のみ勝利とすること」
「待て、最後だけは呑めない。それでは多少の怪我を厭わないということだろう。学園内で認められているのは、服だけでも攻撃が通れば勝利とする決闘だけだ」
「ええ、ですからこれは学園内で行いませんわ」
「ならどこで……まさか、公爵家でするのか」
 公爵家ならば場所には困らないだろう。
「察しが良くて助かりますわ。そのまさか、です。……どの時間帯であろうと学園内で私達二人が一緒に行動していれば目立ちます。第三者の目無しに行うのは殆ど不可能でしょうから」
「そう、だな。……日時は?」
「明日の午後、お待ちしております」
 頭を下げたまま顔を上げないということは、話は終わったのだろう。
 「期待はするなよ」と言い捨てて、レオンハルトはその場を去った。


 そして迎えた翌日。
 レオンハルトは馬車を使わず用事があるとだけ伝えて、従者一人を伴って公爵家に向かった。
 当然、後方には護衛が付いているのだろうが気にしない。いつものことである。
「本日は当家にお越し下さり、誠にありがとうございます。ご不満かとは存じますが、従者の方には応接室でお待ち頂いてもよろしいでしょうか?」
 フィーネに迎えられるとは思っていなかったが、レオンハルトは表情を変えず、
「話は付けてある。……案ずるな。護衛の奴らと応接室で待て」
「……はっ」
 昨日レオンハルトが命令を下しておいて正解だったのか、従者らは特に不満を言うこともなく主に一礼し、公爵家のメイドに連れられて去った。
 そこで漸くレオンハルトは表情を崩し、口元に笑みを浮かべる。
「さて、準備はできているのか? フィーネ嬢」
「もちろんです。殿下をお待ちしておりましたから」
「……なあ、その敬語を辞めないか? 同学年だろう」
「ですが殿下は王族です。敬語を外すと、侮辱しているも同然では? 学園を出ているのですから、今ここには王子殿下と公爵令嬢という肩書きしかありませんし」
「なら俺が貴女に勝ったら、敬語を外してくれ」
「随分安い頼みですわね……着きましたわ」
 話しながら歩いている内に、広い庭に着いた。
 花壇に囲まれ美しく、しかし訓練場なのか木の的などが立てられている。丁度、玄関の裏に当たる位置だろうか。ここなら誰にも見られないだろう。
 互いに言葉を交わすこともなく庭の真ん中で向き合い、三歩下がって構える。
「攻撃するのはフィーネ嬢からでいい。好きに来い」
「ではお言葉に甘えて、失礼します」
 優雅に笑んだかと思うと、瞬き一つの間にその剣先が眼前に迫っていた。
 扱っている得物は両者共にレイピア。刺突による攻撃を主とする剣だ。
 それこそ、刺されば致命傷を負う武器だが、この程度で当たっていれば話にならない。
 左に跳んで躱し、牽制の意味で剣を横に振る。
 当然致命傷とは行かなくとも当たれば痛い為、フィーネは後退し体勢を整えた。
「距離を取るだなんて、随分消極的ですこと」
「いやいや、最初から目を狙ってきたフィーネ嬢には驚きだ。積極的過ぎないか……?」
「避けられるとわかってですわ。万が一当たりそうなら直前で止めるつもりでしたから、ご安心を」
 互いに会話をできる余裕があるのだから、まだ本気ではないのだろう。
 だが、悪戯に長引かせるのも良くない。
「悪いが規則に則り、全力で行かせてもらうぞ」
「当然でしょう? ——火よ、万物の祖たる力を示せ」
 詠唱に従い魔力が属性を得て現界し、弧を描く。
 地面を深く抉る威力を持ったそれがレオンハルトに放たれた。
「水よ、命の源として厳かに在れ」
 剣ではなく魔法戦かと、慌てることなく対抗属性で相殺すると大量の水蒸気が生まれた。
 火で一瞬にして蒸発したのだ、触れると火傷する温度だろう。当然避けるしかない。
「——嘘だろ、馬鹿なのか」
 次の瞬間、レオンハルトは絶句した。
 水蒸気の中を切り裂く様に、フィーネが突きを放って来たのだ。
 ある程度は剣風で捌けたのか顔などは無事だが、身体中小さな火傷ができている。それをものともしないで構えるフィーネに賞賛と、呆れを抱いた。
「はあぁぁっ!!」
 気合い一閃。
 気がついた時には首を剣先が掠め、浅く斬れる——
「お転婆が過ぎるだろ、この公爵令嬢」
 ことはなく、レオンハルトは後方に退避し、詠唱。
「風よ、巡りて調べを掻き回せ」
 風が水蒸気を吹き飛ばし、強く地面を蹴ったか宙にいるフィーネをも吹き飛ばす。
 本来ならここで相手の足でも斬っておくところだが、殺傷目的ではない為それはしない。
 だが、ここで畳み掛ける。
 風魔法で強制的に後方に飛ばされたフィーネを追う様に駆け、体勢を立て直している所に、更に詠唱。
「水よ風よ、其は命を知りて巡りを持つ。果ての始まりを知れ!」
 風によって舞う水滴で簡単な壁に近いものを造ることでフィーネの視界が狭められ、満足に狙いを定められない様にする。
 半円を描く様に造られたそれは、フィーネの視界を狭めるものであると同時に、レオンハルトの攻撃がどこから来るのか、予測を簡単にするものだった。
 フィーネは水の壁のない方に剣を向け、気配を感じ振り返る。
「——お返しだ。これで俺の勝ちだよな」
 そのフィーネの背後から、レオンハルトは首に剣を沿わせていた。少しでも横にずらせば、彼女の華奢な首から血が零れるだろう。
 観念したのか、フィーネは剣を下ろす。
 それを見てレオンハルトも剣を収めると、驚愕の表情をしたフィーネが問うた。
「……どうして、貴方がそこにいるのですか」
 たしかに気配はそこにあったのに、と。
「単純に、一瞬でフィーネ嬢の後ろに回っただけだ」
「……殿下は、随分と速いのですね」
「それはどうも。それで? 俺の勝ちでいいんだよな」
「文句なしで、私の負けです。いつも手を抜いていたのかしら」
 剣を収めレオンハルトを睨むが、それには答えずフィーネに唱えた。
「水よ、命の源なればまた、原初に戻りしこと叶わん」
 治癒魔法だ。先程の無茶な攻撃による火傷が癒え、フィーネは痛みと熱が引いたのを感じた。
「……感謝致します。ありがとうございます」
「俺がやらなくとも自分で治しただろうが、原因は俺にあるからな。せめて俺に治させてくれ」
 気にする必要はないのに、と呟くフィーネにレオンハルトは勝者として告げる。
「この決闘は俺の勝ちだが、先の条件通り『フィーネ嬢の勝利』を周知させてもらう」
「えっ? それは私が勝った場合の話で……」
「俺はそんなこと一言も言っていない。勝手に貴女がそう解釈しただけだろう?」
 言われてみれば、そうである。
 レオンハルトは最初からこの決闘をフィーネの勝利で終わらせるつもりだったのだ。
「……もし差し支えがなければ教えてくれるかしら。どうして殿下は私に勝たない様にしているの?」
「俺に兄がいるのは周知の事実だ。そして、俺の母親が王妃で兄上の母親は側妃であることも」
 聡い彼女のことだ、これで理解しただろう。
「……血筋だけでなく、実力も殿下に備わっているとなれば次期国王を決める際の火種となるからですね」
「そうだ。だから俺は、公爵令嬢に勝てない万年二位の王子でいる必要がある。わかってくれるな」
「……わかりました。この決闘の真相は、私の胸の内に秘めておきます」
「……全力で決闘を受けたのは嘘ではない」
「わかっています。人払いをしたのもそれが理由だったのでしょう? ですから、お気になさらず」
 優しいな、と思うレオンハルトはフィーネの手を取って歩き出す。
「ところで、敬語を外してくれる約束はどこに行ったのだ? フィーネ嬢」
「あっ……そうでし——そうだったわね」
「忘れないでくれよ? フィーネ嬢」
「今後、公共の場でなければ幾らでも敬語を外してあげるわよ。それと『フィーネ嬢』は止めて頂戴。呼び捨てでいいわ」
「わかった。なら俺も名前で呼んでくれ、フィーネ」
「どういう神経なのかしら? 王族を名前で呼ぶのと殿下が私の名前を呼ぶのとでは違うわよ!」
「フィーネ、駄目なのか?」
「……駄目とは言ってないでしょう。……わかったから少し待って。レ、レオンハルト……殿下」
「殿下は敬称だろ」
「レオンハルト……様」
「様も敬称だろ」
「うるさいわね! 人がせっかく……!」
「悪い悪い……ま、名前呼びで頑張ってくれー」
 揶揄う様に笑って、レオンハルトはフィーネの耳元で囁く。
「フィーネ、ありがとうな」
 王族として頭を下げることはないが、感謝を告げることはできるのだ。

 決闘から始まった彼らの秘密は、明かされることはなかった。

12/28/2023, 4:35:01 AM