降り止まない雨
帰郷。田舎町。通り雨。
懐かしい風景だと、郷愁に浸っていた矢先にこれである。収穫時期ではない、目の前に広がる青々と生い茂った茶畑にとっては素晴らしいことかもしれないが、昔の通学路にある東屋に座り、身動きが取れない私にとってはあまり好ましくない状況である。
折りたたみ傘を干したまま忘れてしまった、過去の私を責めても仕方ない。やはり珍しいことは、あまりするべきではないのかもしれない。
とりあえず考えるのをやめて、鞄からスマートフォンを取り出した。駅からこのまま実家に帰る予定だったが、母に雨が止むまで少し遅れると連絡を入れるためだ。しかし、電源を入れたところで手が止まる。久しぶりに私と会えることを楽しみにしていた母は、この連絡を見て迎えに来てしまうのではないか?と。今の母に無理な外出をさせたくもないし、もう私は子供でもない。いや、母にとってはまだ幼い娘か。
「できない娘でごめんなさい…。」
暗くなったスマホの画面に、雫が落ちる。
私は慌てて自分の右頬を打った。…痛い。
私の良くない癖だ。何もないと、考えすぎてしまう。だからこそ、雨宿りはあまり好きではないのだ。
走って帰るか。そう決心した時だった。遠くからこちらに向かって走る、足音が聞こえてくる。東屋に雨宿りをしに来るつもりなのだろうか。私は撤退した方が良いのではないか。そんなことを考えているうちに、足音の主は東屋の前で足を止めて姿を見せた。
「あっ、お前また自分の頬ぶっただろ。」
「久しぶりに会った親友との会話、第一声がそれですか…。」
《親友》だった。
「いや頬が赤くなってるから、お前変わってないんだなぁって思った。ごめん。」
親友は息を大きく吐きながら、私の隣に座った。
いらない心配をさせてしまったかもしれない。
「謝らなくて大丈夫ですよ。それより、大丈夫ですか?ずぶ濡れ…」
私は鞄からハンカチを取り出して渡す。ハンカチの予備はあるのに、何故傘は忘れてしまうのだろうか…?
《親友》はハンカチを受け取った。
「サンキュ。お前が傘忘れるとか珍しいな。」
「えっ。あ、そうですかね。」
「このハンカチだって濡れてないし、どうせ予備だろ。折りたたみ傘とかあってもおかしくない。それに俺は昔からここで雨宿りしてたけど、お前と会ったことなかったし。」
「…たしかに。」
雨宿りは好きじゃなかったから。
あの時から無意識に、絶対に傘を忘れたくないと思っていたのだと思う。
「最近どうなのさ。無理してないか?」
「あー。…そうですねぇ。」
ここ数年会ってなかった《親友》に、こんなことを話してもいいのか。私の話なんか聞いても面白くないだろう。
それに、もうすぐ雨は止む。予定があるのだとしたら、長居させてしまうのは申し訳ない。
「大丈夫ですよ。とっても元気です!」
「…そうか。」
「そちらはどうですか?これから予定があるのでしたら、もう帰っ」
「あのさ!」
急に《親友》は大声を出した。…いや違うな。湿度が高いから音が伝わりやすくなっただけか。広い土地に《親友》の声が響き渡る。《親友》はハッと顔をあげて私を見た。
「あ、ごめん。急にデカい声出して。」
そうでもなかった。
「あのさ、やっぱり話してくれないかな。会えなくなったあの日から、今日までのこと。…全部。」
「え。」
私はしばらく口を開けて固まってしまった。口角がだんだん上がっていくのを感じる。
「全部って…ぜ、全部ですか?それって、長くなりますよ…?」
「うん。…あー」
《親友》は空を見上げた。
「…雨が止むまで、でいいからさ。」
私もつられて空を見る。そして、思わず笑みがこぼれた。
「…それなら、沢山話せますね。」
「やまないなぁ。」
「やみませんねぇ。」
水溜まりには美しい虹がかかっていた。
5/26/2024, 2:55:52 AM