いず子。

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短編小説。



白と黒だけがそこにあった。音楽一家に生まれた君の家には防音室があって、その中心には立派なグランドピアノがあった。


昼間は彼女の母が窓を開けて風に当たりながら弾くという。でも私は夜中に彼女だけのために会いに来るし、彼女は夜にしかピアノを弾かなくて、夜にしか会わないものだから、残念ながらその体験はできていないのだけれど。


「どうだった?」と彼女は演奏が終わった後に私に訊く。


白と黒だけの鍵盤。君も白い肌に黒のパーカー。どこか物悲しい音を奏でる君は、まるでピアノの妖精や付喪神みたいだ。


ある日にいつものように彼女に会いに行くと、彼女は見慣れないパジャマ姿でピアノに顔を突っ伏していた。私がそれに慌てふためいたのは、彼女が大量に飲んだであろう睡眠薬がそこら中に瓶から落ちて散らばっていたからである。


私はどうにかしようと防音室から飛び出て、音を立てて彼女の家族を起こす。彼女の母親が少し怯えた様子で二階から降りてくる。咄嗟に私は身を隠す。すると扉が開いて電気がついている防音室に気づき、忍び足で中を覗く。


その後はあまり語りたくない。まあ、救急車が眩しい赤い光と大きなサイレン音を出してやってきたよ。気を失った彼女がどうなったのかは分からない。でも次の日の夜に彼女は防音室に来なかった。当然だろう。分かっていたのに私は来てしまった。


グランドピアノに座って窓の外を眺める。彼女の音色が無い。足りない。私は適当に鍵盤を押してみたりする。もう昔の感覚は忘れてしまったので、もう童謡くらいしか弾けない。


だんだん思い出してきて、カノンの最初とかを弾くことができた。それでも彼女には遠く及ばない。


「寂しい」


それだけが心を満たす。





私は、昔からピアノを弾いてきた。始めたきっかけは、母が自分が叶えられなかったピアニストという夢を子供に託したい、というなんとも身勝手な理由だった。


自分の心も体も成長していくうちに、ただ楽しいだけのピアノじゃなくなっていった。母からのプレッシャーが重くのしかかってくる。


自然とピアノが嫌いになっていった。


これで最後にしようという高校生の時のピアノコンクール出場で、客としていたのが現在の夫だ。


「君の音色は繊細で美しい。ピアノの音色と同じように君は美しい」と、なんともキザなセリフと共にプロポーズされた。


数年ほどかかったが、自分のピアノへの情熱が復活した。もちろん夫のおかげだ。夫は優しい。暴言を吐くし、時々手を出してくるが。とても優しい。


子宝にも恵まれた。とても可愛い娘だ。娘も、私の母のように強要はしていないが、自然とピアノの道を歩いている。最近では夜にピアノを弾いているところを時々見かける。


言い忘れていた。私がピアノを嫌いになった理由。それは、姉への劣等感があったからだ。いつでも私の一歩先を歩いていた。背中に指先がギリギリちょんとつくほどの距離にいて、もどかしかった。


私が高校1年生、姉が高校3年、姉は大学受験に向けて勉強漬けの毎日だった。それでも何故かピアノへの執着とも言えるほどの情熱は消えず、毎日弾いていた。当然睡眠時間は削れていく。


その情熱が羨ましかった。私にはそれほどの強いピアノへの思いは無かったから。


そんな中、姉は大学の筆記試験の帰りに事故にあった。即〇だったそうだ。


ああ、逃げた。私はまだお姉に手が届いてないのに。私が勝つところ見せてないのに。ああ、劣等感は永遠になってしまう。





彼女が居なくなって数日。私は暇にしていた。時々、透けた手で思い出しながらピアノを弾いたりするけれど。私が使っていたピアノは十年以上前と変わらぬままここにある。


私は成人前にあの世の人間となった幽霊。そしてこのピアノの付喪神と合わさった存在。何故か夜にだけ姿が見えるらしい。


気まずくて妹とは顔を合わせられなけど、可愛い姪っ子「彼女」とは仲良くしている。妹の夫(義弟)は、家族を大切に思っていない嫌な奴なのでいつか懲らしめようと思っている。


ガチャ、っと防音室のドアが開く。すると痩せこけた彼女と、それを支える妹がいた。妹は目を見開いて固まっている。一瞬心臓が飛び出るかと思ったけど、私は冷静を装って迎え入れる。



「おかえりなさい。ピアノ弾いてく?」





〈君の奏でる音楽〉2023/8.13
No.20

書いてたら自然と長くなって
途中でお題変わっちゃって遅れました。
昨日のお題ですが許してください。
制作時間、気づいたら
40分以上経ってた。びっくりした。

8/13/2023, 10:29:01 AM