君と見た虹
世の中生きてると苦しいことばっかりが目の前で起こるからそればっかり見えるんだよ。下ばっかり見てたら悲しい事しか見えないでしょう?
いつまでもメソメソしてんじゃないわよ、と鼻息荒くため息をついて、上を見ろと力一杯背中を叩かれる。
いつだって前向きなあの人の十八番は『上を向いて歩こう』だった。
涙が溢れないように、なんて後ろ向きな理由じゃなく空を見上げてみなさいよ。幸せは空の上にあるんだから。
指先がさすが大空には明るい青と白い雲、そして先ほど止んだ雨がもたらした虹の橋が見えた。
こちらは涙が溢れて止まらないというのに手に持ったハンカチで飽きもせずにこちらの顔を力任せにぐいぐいと拭い続けるあの人はこちらの雨は止まないねぇと笑い続ける。
その口から溢れ出る歌声はどこまでも明るく高らかで後ろ暗さが一つもない目の前に広がる晴天のようだった。
幸せは空の上にあって、雲の果てにある。
そんな手に届かない幸せを見つめいても悲しい。
目に見える手が届く不幸に苦しむのと
目に見える手が届かない幸福を追い続ける。
どちらがマシなんだろうか。
恨みがましい声が我ながら出たと思う。
雨雲の気持ちを少しでも晴天に分けて曇らせたい。
そんな気持ちを見透かしたかのようにハの字に曲がった眉をみた瞬間に後悔した。これじゃ八つ当たりじゃないか。後悔と罪悪感と後ろめたさと。手のひらで触れられる程の暗い気持ちを持て余しどんどんと首は下を向いていく。
せっかく慰めてくれたのに。
嫌われてしまうかもしれない。
上どころか前すら向けない弱虫を見て歩いていた足を止めたあの人はスタスタと道を戻ってくると僕の前に立つ。そして
『いだい!!』
首を力任せに上に向けた。
グキっと嫌な音がした。
まさあ物理的な痛みで反撃をされるとは思っていなかった。何をするんだ、と抗議しようとすると目の前には思っていたより真剣な目をしてこちらを見ているあの人がいる。
『知ってる…?』
『え?』
何を言われるのだろう。怒りも忘れてゴクリと喉がなる。真剣な眼差しで真顔のあの人は人差し指を口もとに立てる。
『白って200色あんねん』
『は?』
唐突に出てきたアンミカの顔に頭がハテナで埋め尽くされる。何の話…?戸惑いながら固まっているこちらの顔を見てさらに表情を強張らせたあの人は得意げに腕を組んで話し始めた。
『いやいや、本当の話なんよ。
色の見える仕組みって知ってる?色知覚って感覚で決めてるだけでさ、物理的な決め事があるんじゃないの。
だから白が一色に見える人には一色だけど200あると言われたら200あるしそれ以上あったりするのよ』
痛む首をさすりながら怒りも忘れて唐突な色彩の講釈を聞く。腕を組みながら黒は300あるとも言われているのよね、なんてうんうん首を縦に振りながらあの人は奥深い世界よね…なんて独り言を言っている。そういえばカラーコーディネーターの資格を取ったと言っていたっけ。
『えっと…何の話?』
ヒートアップしていく講釈の意味がわからない。
恐る恐るその意図を尋ねる僕にあの人はニコリと笑う。
『ベンハムの独楽は知ってる?』
『あぁ…』
知っている。目の錯覚を実験する有名な話だ。
高速でグルグルと独楽を回す事で動体視力がついていけなくてまるで独楽とは違う柄の独楽に見えるようになるというものだった。
『それが何なの?』
唐突に始まった話についていけない。
言外にそう言った戸惑いを受けてあの人は小さく微笑んでその意図を語る。
『目に見えるものは心が大きく影響しているんだよ』と。
口元から腕を組み、忙しなく動くあの人の指先は再度僕らの上に広がる大空を指差す。
正確には青く青く広がる大空に掛かる虹の橋を。
『虹ってさ、幸せの象徴っていうじゃない。
どこの国でも虹って幸せや平和、自由の象徴なのに色の見え方って違うんだよ』
知ってた?そう言って笑うあの人は眩しそうに空を見上げる。
『7色なのは日本でね、6色だったり2色だったり。同じものを見ていても人によって感じ方が変わると見えたり見えなかったり。
それってやっぱり文化や歴史や伝統の違いなんだろうね。人は思っているよりも心の色眼鏡をかけてるのかもしれない。』
明るく広がる空に僕は手を伸ばす。
それは絶対に物理的に手が届く事は決してない。
同じ様にあの人も両手を伸ばした。
親指と人差し指で丸を作って虹を囲む仕草をしてこちらを向いて笑った。僕も真似をして同じ様に囲ってみる。
手を伸ばした時と同じ距離。
絶対に手が届く事はないのに何処か近くなった気がした。あの人はふふッと笑いながら楽しそうに捕まえられた?と言う。
手のひらにしまった幸せの虹を忘れないでね。
そう言ったあの人はどこまでも眩しそうに楽しそうに虹を見上げ続けた。
あれから何年も経った。
苦しいことも変わらずあった。
悲しい事もたくさんあった。
辛い事もたくさんあって、僕は空を見上げる。
大きな青い空に白い雲、うっすらかかった小さな虹は先ほどの雨のあとにかかったのだろうか。
そういえば。
あの後楽しそうに空を見上げていたあの人が消え始めた虹を指差して言っていた言葉はなんだっただろうか。
確かハワイの諺だったような気がする。
ポケットから携帯を取り出して『ハワイ 虹 ことわざ』で検索をかけた。画面に映し出されたことわざを見て僕の目からはまた雨が溢れ出した事はどうか秘密にしてほしい。
きっとあの人は今も虹の橋から僕を見て、上を向いて歩こうと楽しそうに歌うのだろう。
※ No Rain, No Rainbow
2/22/2025, 11:41:00 PM