すゞめ

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『君が紡ぐ歌』

 いつもは静かな彼女が、今日は妙に調子のはずれた鼻歌を刻んでいる。
 歌に合わせて、上半身もゆったりと前後していた。

 ずいぶん、ご機嫌だな。

 リビングのソファでのんびりとスポーツ雑誌を読んでいる。
 ハミングのせいか、ページを捲る速度はいつもよりゆったりしていた。
 そろそろ休憩を促すためのお茶でも用意しようかと立ち上がったとき、彼女と目が合う。

 見すぎたかな。

 多少の申しわけなさを感じていると、彼女ははにかみながら雑誌を閉じる。

「元気が出るお歌なんだよ」

 お歌……。

 幼い言い回しに胸がキュンと締めつけられる。
 またひとつ、彼女のかわいさを発見したところで、俺は気がついてしまった。

「元気がないんですか?」
「それは言葉のあや」

 俺の余計な心配を迷惑そうに一蹴したあと、彼女はどこか懐かしそうな穏やかな表情で天井を仰ぐ。

「昔、本当に元気がなかったときに教えてくれたの」

 耳に残る旋律もあって、以降、彼女はなにかにつけて口ずさむようになったらしい。
 俺との暮らしに慣れてきてくれたのだと実感した。
 うれしさの反面、俺がまだ知らない彼女の弱さを知る人がいるというという事実にドス黒い感情が噴き上がってくる。

「誰にです?」

 それ、仮に男だったら記憶から削除してやりたいんだけど。

 不用意な発言に自覚はないのか、彼女は特に俺の様子を気にすることはない。

「ん? 叔父さんの奥さん」

 奥さんならまぁ。
 彼女の身内みたいなもんだから、そうか。

 複雑ではあるが同性だし彼女の身内のようなものだしと、なんとか溜飲を下げた。

 しかし、隠すのがうまい彼女が本当に弱っていないかどうか、俺は知る術を持たない。
 彼女の隣に座り、吸い込まれそうなほどに澄んだ瑠璃色の爽やかな瞳に影がないか覗き込んだ。

「本当に? ハムカフェとかネコカフェとかに行って癒されなくて大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だってばっ」

 相変わらず至近距離に照れる彼女だったが、ちょっとソワァッとし始めている。
 だが、あいにく今日は日曜日で、時間も午後を過ぎていた。
 店に問い合わせてみたが、既に閉店まで予約で埋まっているらしい。
 アニマルカフェは後日に持ち越すことになった。

   *

「なにかいいことあった?」
「え?」

 リビングで洗濯物を畳んでいたら、風呂から出てきた彼女がノシッと俺の背中に乗っかかってくる。
 振り返ると思いのほか近い位置に彼女の頬があったから、チュウッと吸いついてやった。

「楽しそうに口ずさんでたから」
「あー……?」

 指摘されて初めてメロディを口ずさんでいたことに気がつき、顔面を覆った。

「……っス」

 はっず。

 いつの間にか、彼女の鼻歌のクセがうつったらしい。
 歌っていたのが彼女のお気に入りのゲームのBGMでよかった。
 音楽まで同じとか影響されすぎて、さすがに気持ち悪がられるかもしれない。

「で? どしたの?」
「あぁ」

 俺の心配をよそに、彼女は特に気にする様子もなく話を促した。
 しかし、「いいこと」になるかどうかは彼女の返答次第だ。

 洗濯物を放り出し、背中に乗っかっている彼女を俺の前に座らせる。
 今度は俺が彼女の腹に腕を回し、背中に体重を乗せた。

「来週の水曜日の午後になってしまうんですが、ハムカフェの予約が取れたんです」
「ハムカフェ?」
「午後は空いてましたよね?」

 平日の中途半端な時間帯ではあるが、少しハムスターと戯れる分には問題ない。
 俺のほうはさっさと有給を取ってしまったが、彼女は午前中は仕事があった。
 こういう日はついでに予定を入れがちだから、一応、確認を取る。

「まだ予定が埋まってなかったらどうかなと思いまして」
「予定はないから大丈夫、だけど……」

「私、本当に元気だよ?」
「ちょっと期待はしてたじゃないですか」
「うっ」

 図星を突かれたからか、恥ずかしそうに体を縮こませた。

「なんでわかるの……」

 なんでって。
 先日の鼻歌しかり、オフの日の彼女は意外と態度に出るからだ。

「まあ、そういうことなのですけど、どうです?」
「ん。いいよ、うれしい」
「よかった。楽しみにしてますね」

 クスクスと笑い合ったあと、彼女は俺の上から立ち上がる。
 横隣に座りって、ふたりで洗濯物を畳んでいった。

10/20/2025, 6:45:42 AM