鶴森はり

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お題【天国と地獄】

「死ぬ天国か、生きる地獄。どちらの方が幸福なんだろうね」
 猫脚ソファにゆったり腰掛け、ティーカップを傾ける男は突然、そんなことを呟いた。窓から入り込む朝日に照らされた姿は、品のある――いわゆる懐があったかそうな雰囲気である。彼専用に仕立てられたスーツにカフスボタンがきらめいて、見ていると無性に腹が立つ。
 神様は不公平なので、一人に何個も与えて、一人に何も与えない。
「わたしは死ぬ天国を選びます」
 無視すると後々めんどくさい。適当に返答して、同じく琥珀色の紅茶を喉に流し込んだ。同じ動作なのに、まったく下品だと己ながらも呆れる。
「君は悲観的だね。でもそういうと思った」
 彼は眉を下げて鼻を鳴らす。足を組んで、目を閉じれば長いまつげを揺れた。薄い唇を震わすと、加虐的な色を含んだ声音が投げられる。
「だから、紅茶に毒を仕込んだよ」
「――……うそですね」
 さらりと世間話のような調子で、とんでもないことをのたまう男を睥睨すれば「バレちゃった」とおちゃめな言い方をする。
 ふざけやがって、と怒りたい気持ちを抑えるために拳を握った。なんせ自分は大人なので。我慢できるのである。
「でも一瞬だけ、どきっとしただろう? 死ぬ恐怖が上回った。すぐわかる嘘なのにね。小指の先ほどもない可能性に怯えた」
「……そういうとこ、大嫌い」
 目を細める。その瞳がすべてを見透かして、知っているようで。そしてそれが真実であるのが、ますます気に食わない。なんていやらしいのだろう。それでも美貌はかげらないのだから、この世界は不平等極まりない。
 男は緩慢な動きで頬杖をつくと猫のように、にんまりと笑った。
「つまりそういうことだよ。きみには死ぬ天国は選べない」
 諦めて生きる地獄を選びなさい。
 残酷な断言に、反論する余地はなかった。

5/27/2023, 10:23:21 AM