時の流れは私を待ってはくれない。
立ち止まることも、逆行することも許されない。
暗がりをただひたすらに歩き続けるだけだ。
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冷え込んだ夜のロンドンを、一人の少女が歩いていた。
15、6歳ほどの見目麗しい少女だ。
背丈の割に大きなコートを身にまとった少女は、冷えて赤くなった手に息をかけながら擦り合わせる。
初冬の夜の寒さに身を震わせ、とある時計屋に入っていった。
いらっしゃい、と老年の店主に声をかけられると、少女は店内を見回して言った。
___時間を巻き戻せる時計はありますか?
少女の問いに、店主は困ったように眉を下げて答える。
「すまないが、そのような時計はうちには置いていないんだよ。もっとも、そんな魔法のような時計があるとも思えないが」
___そうですか…。
悲しげに俯いた少女に店主は、どうしてそんな時計を探しているのかと問いかける。
___お母さんが病気で亡くなってしまったんです。お父さんは2年前に事故で。どうしたらいいか分からなくて。お父さんとお母さんが生きてた頃に戻りたいんです。
「それは気の毒に…。辛かっただろう、食事はどうしているんだ?」
___家に残ってた食材は使い切っちゃって、もうすぐお金も無くなるから近所に買いに行くこともできなくなっちゃう。
少女のあまりにも酷な現実に、店主は言葉を失った。
少女は続ける。
___ずっと身動きが取れないんです。暗闇を落ちていってるみたいに。そのうち地面に叩きつけられて、私も死んじゃうのかも。
店主に縋るように言葉を並べた少女。
店主は少女の頭に手を起き、ゆっくりと撫でながら語り始める。
「私は6年前に妻を亡くした。恥ずかしながら私は仕事ばかりしていてね、妻を大切にできていなかった。そのときは本当に後悔したよ。それでも妻のことは愛していたから、どうしたらいいのか分からなかった。目の前が真っ暗になった感じでね。けれど、時の流れは私を待ってはくれない。立ち止まることも、逆行することも許されない。暗がりをただひたすらに歩き続けるだけだ。だからお嬢さん、君も歩き続けるんだ。決して落ちてはいけないよ。歩き続ければいつか明るい出口が見えるのだから」
店主の言葉を静かに聞いた後、少女は涙ながらに問う。
___私、どうしたらいいですか?
「私の息子夫婦には子が無くてね、娘を欲しがってる。君さえ良ければどうだい。役所や警察には私が説明しておこう」
少女は喜びの涙を流しながら感謝を述べた。
「今日はもう遅いから寝なさい。2階の客室にベッドがあるから使うといい」
店主に促され客室に案内された少女は、疲れからかすぐにベッドに横たわった。
これからの未来に希望と安心感を抱きながら、少女の瞼はゆっくりと落ちていく。
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『落ちていく』
11/24/2024, 9:46:30 AM