背中に手を当てる。何も持っていない、ひらいた掌にあなたは肩を跳ねさせた。
呼吸が浅くなる。視線がこちらを見て、それから助けを求めるようにそこかしこを見た。
夕方の市街地には遊ぶ子どもの声が響いている。きゃらきゃらと高い声が家々の隙間から聞こえてくる。
向こうのほうから飛び出してきた子どもはあなたを一瞥もせず道の反対側へ走っていって、追いかけて後から出てきた女性はわたしを見るなり「あら!」と頬を緩めた。
ここはあなたにとって異邦。何も知らない場所。けれどわたしにしてみればここは生まれ育った場所だ。いるのは顔見知りばかり。わたしを疑う人なんてひとりも居やしない。
まさか恋人と引っ越すなんてね。あんなに小さかった子が。あはは、今までお世話になりました。
くだらない会話のさなかにあなたは何か言おうとして口を開き、何も言えなかった。
逃げようと思えば逃げられる。目の前の女に何か言うのだって妨げられない。
けれどあなたは何もできなかった。家族を愛しているから。わたしが家族の居場所を知っているから。わたしがあなたのためなら何だってする人間だと理解しているから。
お幸せに! と声をかけられて、わたしは照れながら頭を下げた。促せばあなたも同じようにした。
お幸せに。お幸せにだって。ふふ、幸せになろうね!
話しかけたら、あなたはひどい顔色でわたしを睨みつけた。
3/31/2023, 12:38:58 PM