桐田 藍生

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【さよならを言う前に】


「月が綺麗だね」
 この暗喩が君には通じないだろう。
 でも使ってみたかった。ずっと一緒に暮らしてきて、ぼくと一緒に本の山に埋もれて、満足そうにしていた君だから。
 通じると思ったぼくは、ちょっと阿呆かもしれないけど。
 だって君は頭が良いし。
 ほら、君の目には月が映っている。
 君の目には見えないのかもしれないけれど。
「ねえ、綺麗だろう?」
 君は短い返事をする。
 ぼくはそれだけで幸せだ。
「待っていなくてもいいよ。ぼくはもう少しかかるけれど、君のことを探し出せると思うから、またおいで」
 君は薄く開いた目で、何を見ているんだろう。
 何を聞いているんだろう。
「大好きだよ」
 たくさん伝えたい。
 君がこの体から離れる前に、たくさん、たくさん伝えたい。
「ありがとう。大好きだよ。ありがとう。ありがとう。大好きだよ、大好き」


 別れの言葉は、君が旅立ってから。
 この世界から突き放したくないから。
 君の存在をぼくは最期まで求めるから。


「大好きだよ」


 別れの挨拶はぼく自身への言葉だから。
 君には最期まで感謝を贈ろう。


「大好きだよ」

8/20/2024, 2:49:28 PM