真岡 入雲

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【お題:静寂に包まれた部屋 20240929】

深い眠りから覚醒し、辺りを見回す。
窓から見える見慣れた風景に、見慣れた部屋。
ただし、見慣れてはいるがここは達也の部屋ではない。
隣で眠る"誰か"を起こさないよう、そっとベッドから降り、ひとつため息をつく。
"誰か"に気を使う必要がないことは、達也はよく知っている。
だが、身体にとっては"誰か"を気遣う事はごく自然なことで、そうすべきである、と無意識下に刷り込まれているようだった。

達也はまず初めに服を探す。
一糸纏わぬ姿でいるのは"誰か"との関係が深い仲である事を指し示している。
そして、つい先程まで、そういう行為に至っていたのだということもわかっている。
お陰で、下半身の疲れと、未だに昂る己の中心に辟易しながら脱ぎ散らかされた衣服の中から、自分の下着とシャツ、そしてズボンを拾い上げた。
それ等を、くるくると腕に巻き付けバスルームへと向かう。
全身の汗と、下腹部の体液、そして身体に染みた香水の匂いを落とすためだ。
蛇口を捻り、熱いお湯を頭から被る。
備え付けのシャンプーで髪を洗い、ボディーソープで念入りに身体を洗う。
そして、昂りを大人しくさせ目を閉じる。

『この後は⋯⋯』

シャワーを終え、タオルドライした髪を乾かし、服を着る。
鏡の中の自分の顔をマジマジと見て、大きなため息をひとつ吐き出す。
そこに映るのは精悍な顔をした美丈夫だ。
歳の頃は三十前半、男としては脂の乗った丁度良い頃合だろう。
整った顔立ちで、モデルのような体型。
程よく鍛え抜かれた肉体は、この顔にとてもマッチしている。
そして、長く癖のある髪も、この顔によく似合っている。

「⋯⋯⋯⋯」

世の中は不公平だと、いつもこの時に思う。
鍛え抜かれた肉体も、整った容姿も、おそらく国籍も達也とはまるっきり違う。
黒髪に目の冴えるような青色の瞳、白い肌に彫りの深い顔立ち。
身長はおそらく190近くあるだろう。
アソコも達也のものとは比べ物にならないほど立派だ。
自分がこんなんだったら、どれほど幸せな人生を送れただろうか⋯⋯。

そう、この身体は達也のものではない。
現実の達也は40を過ぎた独身男で、背は165cm、体重85kg、髪は父方の遺伝子の所為で寂しくなり、剃る事にしてもう10年以上になる。
顔もお世辞にも整っているとは言い難い。
同じ親から生まれたはずの兄や姉は母親の血が濃いらしく、達也とは全然似ていない。
父親も整っているわけではないが、一般的であると言える容姿だ。
なぜ自分だけ、と悩まなかったはずがない。
学校でも職場でも容姿のことでからかわれ、自尊心はズタズタだ。
それでも勉強が出来れば良かったのかもしれないが、成績は普通、そう至って普通。
運動は苦手で、小中高と運動会や体育祭の前日はてるてる坊主を逆さまにして雨乞いをしたほどだ。
ただ、他者より秀でるものがなく容姿は寧ろマイナス寄りな男の人生に、一つだけ普通ではないことがあった。
それが、これだ。

眠りにつくと必ずこの夢を見る。
妙に現実じみた夢だ。
初めての時は訳が分からずパニックになり、裸のまま部屋から飛び出した所で夢から醒めた。
2度目はこの体をじっくりと観察して、部屋にある服を色々と着てみたり、自分にはできない髪型を楽しんでいたら目が覚めた。
それからは少しずつやることを変えてみた。
もちろん"誰か"と肌を重ねることもしてみた。
現実世界では叶わない夢を夢の中で叶えることが出来た、が、夢から醒めた後は酷く虚しくなった。
幾度かその虚しさを経験して"誰か"と肌を重ねることはやめた。
夢の中の達也は達也であって達也ではないから。

5年前から見はじめたこの夢には何か意味があるようだった。
それが何なのか達也には分からなかったが、一つだけわかっていることがある。
それはこの夢では達也が取るべき行動が決められているらしいということだ。
その取るべき行動に沿っていれば夢は続き、そうでなければ夢は覚める。
また、部屋の中にいる場合はある一定の時間が過ぎると夢が覚めるようだった。

そしてこれまで分かっている条件は3つ。
まずはベッドから出てシャワーを浴びること。
体の汚れは当然として、香水の匂いもしっかりと落とさなければならない。
そうでなければ、部屋から出て通りへ足を踏み出した瞬間、獰猛な犬に噛まれることになる。

次に服装。
クローゼットの中にはたくさんのオシャレな服があるが、そのどれも着てはいけない。
着るべきなのは床に散らばっている服で、それ以外の服を身につけていると通りの途中で車に泥水をかけられ夢から醒める。

それから"誰か"に触れないこと。
触れれば"誰か"は目覚め、部屋から出られなくなる。
そしてその間はほぼ強制的に、"誰か"と肌を重ねることになる。
自分にどんなにその気がなくても、だ。
自分の意思とは関係なく、口から愛の言葉が紡がれ、中心が昂り、虚しさの中"誰か"の中で果てるのは、精神的にキツく目が覚めてからもなかなか浮上できないほどだ。
気持ちいい思いをしているんじゃないか、と責められそうだが肉体の快楽が精神の快楽とイコールであるとは必ずしも言えないものだ。
ましてや"誰か"は夢の度に違う人物で、若い女性の時もあれば、壮年の男性のこともあった。
せめてもの救いは、誰一人として達也の知る人物ではなかったことだろうか。
また"誰か"は触れさえしなければ、どんなに大きい物音を立てても目覚めることはなく、ただベッドで寝ているだけのモノに過ぎなかった。

達也は乾かした髪を一つにまとめると、手に財布と部屋の鍵を持って玄関に向かう。
この時、時計や携帯電話など時間のわかるものを身につけていてはならないようだった。
それを持っていると隣のブロックに足を踏み入れることができないのだ。
目に見えない壁のようなものに阻まれ、同じ場所をグルグルと歩き回ることになる。
この条件は見つけるのに、ひと月近くかかった。
部屋を出て鍵をかけ、少し狭い階段を3階分下りる。
重厚な鉄の扉を開いて通りへ出たら、左に進む。
足元は昔からの石畳。女性たちからはヒールで歩き難いと評判が悪いらしいが、観光客には時代を感じるこの雰囲気が良いと大好評だ。
通りを5分ほど歩く。
途中、犬の散歩中の女性二人と、おそらく通勤途中の女性ひとりと目が合うので爽やかな笑顔を浮かべて目で挨拶をする。
これも無視をすると、後ろから走ってくる自転車にぶつかられて目が覚める。
焼きたてのパンのいい匂いがしてきたら、目的の店が近い証拠だ。
店に入り、バゲットを1本とクロワッサンを2つ購入する。
このパンの種類と本数の条件を見つけるのが今の課題だ。
これで通りに出て何事もなければ、パン屋の条件はクリア出来たことになるのだが。

「⋯⋯⋯⋯ダメだったか」

現実の自分のベッドで目覚め、達也はぽつりと声を漏らした。
6畳二間続きの古いアパートの天井には、人の顔に見える木目のある板が打ち付けられている。
大家さんが良い人なのと、会社が近くて便利ということもあって、かれこれ20年近く住んでいる。
親や兄弟にはもう少しいいところに住めと言われているが、達也自身はその必要性を感じていなかった。
彼女や友達を呼ぶわけでもなく、会社から帰って寝るだけの場所。
たまの休日は掃除をして、平日のための料理の下拵えと、常備菜などを作っていると時間が無くなる。
以前は本を読んだりもしていたが、今は1時間ほどの空きがあれば、寝てあの夢の中にダイブするようになっていた。

誰かの人生の追体験をしているのかもしれないと思いつつ、ゲームをしているような感覚に陥っている。
先に進むためにはたくさんの条件があり、その条件を一つ一つクリアしていく。
達也は夢の中の人物の名前も、性格も、仕事も、家族構成も何一つ知らない。
知っているのは達也とは違ってオシャレな家に住んでいて、愛する人がいて、目が覚めてその人のためにパンを買いに行っていると言うこと。

「うーん、3時か。もう1回はいけるな⋯⋯次はバゲット2本とクロワッサン2つにしてみるか」

達也はもう一度目を閉じる。
睡魔はすぐそこにいるから、あの夢で目覚めるのは容易なことだろう。
なぜこんなにも真剣になって、あの夢をクリアしようとしているのか分からない。
ただあの夢をクリア出来たら、自分の中で何かが変わりそうな気がする、ただそれだけのために達也は何千回と、ほとんど内容の変わらない同じ夢を見続けている。

静寂に包まれた部屋に1人の男の呼吸が響く。
その夢の結末が、己の人生に多大な影響をもたらすことも知らずに。

静寂に包まれた部屋で一人の男が目覚める。
何千回と繰り返してきた夢の終わりが、すぐ近くまで来ていることを知らずに。


ある日、地球上から一人の男が忽然と消えた。
最後の目撃者はパン屋の店員で、バゲット2本とクロワッサン3つを購入した男が、店から出た瞬間に姿が見えなくなったという。

ある日、一人の日本人の男が目覚めなくなった。
大家の話では4日前の夜、いつも通り日付をまたぐ頃に帰宅したようで、夜中トイレに起きた際、玄関の鍵を開ける音を聞いたという。
無断欠勤が続いたため、会社の同僚が確認に来たところ、彼は普通にベッドで眠っていた。
だが、声をかけても体を揺すっても起きる気配がなく、病院へ搬送したが、以降1度も目覚めることはなかった。

彼らは何処に行ったのか、誰も知らない。

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(´-ι_-`) もうちょっと、こう⋯⋯才能が欲しいな。


9/30/2024, 5:04:24 AM