雨音が、遠くの空へ向かって走り去る。
厚塗りされた灰色の空を見上げる、その物憂げな横顔から目が離せなかった。
スクランブル交差点の歩行信号は、強制的に人々の歩みを止めている。
同じように立ち止まる彼女の隣に俺も並んだ。
「好きです」
「ごめんなさい」
口から溢れた唐突な告白を、彼女は間髪入れずに一蹴する。
横顔のラインが崩れることなく、長い睫毛が揺れることなく、黒い大きな瞳が動くこともなかった。
周りの人々にならうように、彼女はさしていた傘を閉じる。
傘紐をキツく締めたあと信号が青に変わった。
人々に紛れて、彼女は青信号に吸い込まれていく。
結局一瞥もされないまま、俺は彼女を見失ってしまった。
*
あれから約3年が経つ。
スクランブル交差点の歩行信号は赤を示したばかりだ。
鮮やかな夏の色と同化するためには、まだ1分ほどかかるらしい。
人の視線は常に携帯電話を向いており、車やバイクのエンジン音はイヤホンで塞いでいた。
ぎゅうぎゅうと信号待ちをする人で溢れ返り、自然と縮まった彼女との距離を利用する。
「好きです」
「え……」
つぶやいた言葉のせいで、信号を見つめていた彼女の瑠璃色の瞳が俺に移った。
あのとき、横顔しか見せてくれなかった彼女が俺を真っすぐ見上げている。
長い睫毛が小刻みに揺れて、大きな瑠璃色の瞳は熱を帯びた。
「……きゅ、急に、なに?」
顔を逸らしてと色づく頬を隠したが、耳が真っ赤に染まっている。
「いえ。ここであなたに告白したことを思い出しまして」
「こんなところで?」
身に覚えがないと言いたそうにしながら、人で溢れたスクランブル交差点を見渡す。
「……いくらなんでも、見境なさすぎじゃない?」
「どうせ振られるならどこで告っても一緒かなと思いまして」
「なにそれ。雑すぎ……」
事実、俺は容赦なく彼女に振られる。
当時の彼女は俺の告白など噛み締めてすらくれなかった。
「あのときは質よりも量が適切だと判断しました」
押しに弱い彼女をなし崩すには、シンプルな言葉と数と勢いだ。
「そのおかげで、しっかり絆されてしまったでしょう?」
「う……」
身に覚えしかないのだろう。
悔しそうに唇を尖らせた。
その場しのぎの駆け引きは時間の無駄だし、ふたりきりの食事やデートに誘う隙を、心を閉ざした彼女は与えてくれない。
彼女にはひたすら好意のみを伝えて、水面下で牽制しながら周りを囲っていった。
「それで、返事はくれないんですか?」
「意地悪……っ」
毎日のように口説き続けた結果。
今ではこうして真っ赤になって、彼女は俺に動揺してくれるようになった。
彼女は俺を受け入れてくれる。
求めたら求めていたこと以上を返してくれるから、余計に彼女への想いを拗らせた。
「……そんなの、聞かなくても知ってるクセに」
「ふふ。そうですね。すみません」
拗ねたように再び顔を逸らして彼女は空を見上げた。
今日も鮮やかに夏空は光っている。
「好き……」
遠くの空へと放り出された飾り気のない感情は、優しく頬を撫でる風のように柔らかく俺の耳に届いた。
囁きよりもか細い声だっのにの関わらず、彼女の素直な気持ちに、激しく胸を揺さぶられる。
相変わらず……。
この喧騒に紛れて俺が聞き逃していたら、放った気持ちをどうするつもりだったのか。
最悪の可能性が頭をよぎったから、ため息と一緒に吐き捨てた。
「……どうせなら、こっち見て言ってくださいよ」
「……さすがに、むちゃ言わないで……」
信号が青に変わる。
いたたまれなくなったのか、彼女は夏の鮮やかな空に向かって横断歩道の白線を跨いだ。
人混みを器用に避けていく彼女のポニーテールは、しおしおと気恥ずかしそうに垂れている。
俺は息を溢して、そのポニーテルのあとを追いかけた。
『遠くの空へ』
8/17/2025, 12:13:14 AM