せつか

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濃い灰色をした雲が、低く垂れ込めている。
重い色をしたそれは、街という生き物の呼吸を妨げる真綿のように俺の目に映った。
「·····しまった」
そこまで考えて、カーテンが開けっ放しだったことに気付いた。
向かいのビルはここより背が高い。慌ててそちらに視線を向けるが、びっしりと並んだ窓ガラスは固く閉ざされて、こちらに注意を向ける者の姿は無かった。
「·····」
安堵の息をつき、振り返る。
部屋中真っ赤な飛沫が飛んで、ベッドと言わずテーブルと言わず、何もかもを汚していた。
床に落ちたナイフを拾い洗面所に向かう。
丁寧に汚れを洗い落とすと少し思案して、そのまま小さな窓から投げ捨てた。
続けて自分の手も洗う。何だか妙に楽しくなって、俺は鼻歌なんかを歌い出していた。
ジーンズで雑に手を拭いて鏡を見ると、幸いな事に服にはシミ一つ無かった。
――部屋はあんなに汚れてしまったのに。

『今夜は十一時過ぎ頃から雨になるでしょう』
いつものお姉さんの声が天啓に聞こえる。
俺は再び部屋に戻るとリモコンを探し当ててテレビを消した。静寂と共に壁際に現れた四角い灰色が、ぽっかり空いた穴のようだ。
お姉さんの予報が当たっているならあと二時間もすれば雨が降り出すだろう。その頃には俺はもう海の上だ。

「·····あはっ」
思わず声が出る。
「じゃあな、おやすみ」
俺は目の前に転がる物体に最後の挨拶をすると部屋を出て、しっかりと鍵をかけた。エレベーターに向かいかけたが思い直し、非常階段へと歩き出す。
階段を一段飛ばしに降りながら、手にした鍵を放り投げた。

一階に辿り着き空を見上げると、灰色の雲がうねるように広がりその密度を増していた。

「今日は殺すのにもってこいの日だ」
歌うように俺は言って、クソみたいなこの街に別れを告げた。


END


「雲り」

3/23/2025, 2:46:41 PM