トト

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以前、「お気に入り」というお題が出た時に「何も持っていない、全部捨ててしまった。なにしろ家ごと捨てたのだから」と書いた事があった、

これは本当の話で、切羽詰まって夜逃げしたので、大切なものもたくさんあったが結局は、今はもう何も持っていない。

家も含めて、それらをいちいち思い出すのは悔しいから、普段はすべて忘れる事にしてる。


こうして、毎日このアプリに投稿していると、予想もしないお題が出て来て、何もないのに無理矢理じぶんの引き出しを開けたり閉めたりする作業を繰り返しているわけだが、

さすがに60年近く生きているので、「何も無い」と思っていても、案外何かが出てくるものだと再認識させられた。

自分自身の体験の中には、たぶん他人が読んでもおもしいと感じられるものが、それなりにあるように思えるし、

実際の体験でなくとも観たり、聞いたり、読んだ事を含めると無限に近いのかも知れない。

かつて住んでいた家はないが、(忘れたと言いつつも、止むを得ず)記憶を辿れば意外と覚えているものだ。

村上春樹は、小説を書く時、そういう引き出しを開けるけれども、いよいよの時は地下2階まで降りて行くと言っている。

つまり、無意識みたいな、自分がふだん認識しない深くまで意識を降ろす感覚なのだろうか?

その感覚は、ちょっと面白い。村上春樹でなくたって、私にも真似できるような気がする。

無限というのは、宇宙が無限だけれども、例えばカーペットを、1本の繊維が巨大に見えるまで拡大していくと、複雑な構造になり、それは無限とも言える世界になるらしい。

私の意識は、今のところ、せいぜい降りられても地下1階程度だろうが、いつか自分の中にある地下2階を覗いてみたい。

そうすると、大切なものは、つまり、「自分の正常な意識を保つ事」という結論になるのかな。

4/3/2024, 3:00:13 AM