ささくれ

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「私、本当は月から来たんだ」

生ぬるい風が吹いて、はるかの長い黒髪が波を打った。月の明るい夜だった。 

はるかは浮世離れした子だった。可憐で儚げな容姿はもちろん、竹を割ったようなあっさりとした性格で男女問わず人気があった。それでも、誰に対してもどこか一線を引いた、うすい壁一枚くらいの距離を保っていて、誰とでも仲が良いのに誰ともつるまない、良い意味で不思議な子だった。

はるかと私の距離が急激に縮まったのは、ある年の学校祭の最終日だった。
それまでは近くにいれば話をするくらいの、文字通りただのクラスメイトでそれ以上でも以下でもない、特筆することもないような関係だった。はるかとクラスメイトのほとんどが、多分そんな感じだったろうと思う。
最終日のメインイベントであるフォークダンスから逃げて、私は三階の空き教室に忍び込んでいた。ここは校庭の様子が見下ろせて、これから打ち上がるらしい花火もそれなりに見える、悪くない避難場所だった。フォークダンスを終えた人々がのろのろと仲良しグループや恋人同士に固まっていくのを、特に何を思うこともなく眺めていた。
そこにふらりとやってきたのが、はるかだった。
「あれ、どしたの」「うーん、ちょっと休憩?」なんて当たり障りのない会話を交わして、なんとなく近くの座席に座る。「フォークダンス、楽しかった?」「楽しかったよ。ちょっとドキドキした」彼女が冗談めかして笑うので、つられて笑う。「あとどれくらい続くのかな」「もうちょっとで終わるよ。花火はきっとすぐだし」「そっか。寂しいな」ぽつりぽつりと、思いついたままに言葉を投げていく。その空気が、意外なほど心地よかった。
ほどなくして上がった花火は、やはりすぐに終わった。
私たちはどちらともなく立ち上がり、熱冷めやらぬ生徒たちのざわめきを背に、友だちみたいに並んで帰った。

彼女の家が月にあるということを、私はその日はじめて知った。月の明るい夜だった。

2/7/2024, 2:12:57 PM