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いつもゴミを出すゴミステーションは海のすぐ近くにある。子どもの頃よく磯遊びをした海岸だ。ごろごろした岩、大小の石、流れ着いた陶器やガラスの破片、海辺の生き物たち。

子どもでもひょいと飛び降りることができたのだが、もう飛び降りることはできない。自分が年を取ったからなのか、岸が低くなったものかよくわからないが、足がすくむほどの高さがある。

覗き込むと澄んだ水がひたひたと寄せてくる。もう少しすると満潮だろう。きれいなのは朝日のなかできらきらと輝く水面だけではない。潮位は1メートル以上はあるだろう。その底にくっきりと砂や石がみえる。

今ならここで泳ぐことも可能だろう。以前は生活排水が直接海に流れ込んでいたために泳ぐことはできなかった。人家のないところか、あっても排水口のないところでないと泳ぐことはできなかった。

ネットに入れたトマトを海水で冷やし、泳ぎ疲れるとトマトにかじりつく。今になると、それが最高の贅沢だったとわかる。

高校すら島の外に出なければならなかった当時の若者には、島に居場所はなかった。フェリーで高校に通う每日は、今でこそノスタルジーを覚えるが、早い時間に帰らなければならなかったことをうらめしく思ったものだ。文化祭など行事の準備や後片付け、打ち上げなど、地続きなら何も気にすることはないのに、島であるがゆえに同じことができなかった。

ああ、だからなのかと腑に落ちることがある。人と同じことができなくても気にしないという性質は、この頃の経験によるのかもしれない。他人と同じようにできないことを気に病むことがない。同じようにできないなら、できるときにできる限りのことをするまでだ。

こんな毎日を過ごす私たちには、高校卒業後、進学するにしても就職するにしてもも島を出ることしか考えられなかった。思い描いた未来に、島で生きていくという選択肢はなかったのだ。

回覧板が回ってきた。小学校便りによると、今年は10名の新入生が入学したそうだ。かつて島内に小学校は3校あった。今は橋でつながった隣の島と合わせて1校だけだ。スクールバスが送迎している。登校時に時折見かける子どもの数は昨年度は三人だった。そのうちの二人は兄妹のようだった。この子たちの未来に島で生きるという選択肢はあるのだろうか。

下水も整備され、きれいになった海に子どもの声はない。

私たちのいる地区から見ると裏側といってもいい地区に美しい砂浜があった。真っ白な細かい砂が素足に心地よい。高校二年生のとき仲のよかった一年生のときのクラスメイトがここに集まったことがある。なんの設備もないので泳ぎはしなかったが、波打ち際で水と戯れた。どこまでも透明な水に、皆一様に驚いていた。

島を出てからしばらくして、そこに人口の砂が入れられ、拡張された海岸が海水浴場として整備された。シャワーやトイレ、海の家が整備され、ホテルや温泉もできた。海水浴の季節には人が押し寄せる。私も子どもを連れて何度か訪れた。それは楽しい家族の時間ではあった。

素足に心地よくまとわりついた白い砂はもうない。人口の砂は粒子が粗く、サンダルを履かなければ痛くて砂浜は歩けない。それでも何も知らない子どもらは、きれいな海だと大喜びだ。

波打ち際で腰まで水に浸かり、浮き輪でプカプカ浮かぶのを楽しむ子どもたちを見守る。ここはもっときれいだったんだよと言ってもぽかんとするばかりだ。見渡す限り透明な水だけが変わらない。

5/22/2024, 12:52:46 AM