喜村

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「一人で大丈夫?」
「うん! 一人で行ける!」
 温かい陽気の二月の最後、小さい女の子は、リュックを背負い、靴をはく。見たところ、五歳になったあたりだろうか。
「シチューのルー買う!」
「そう、シチューのルーならなんでもいいからね」
「わかったー!」
 そう言葉を交わすと、女の子は小走りに行く。
一度振り返り、大きな声で「いってきまーす!」と叫んだ。
 すぐそこのスーパーなのだろう、母親は姿がみえなくなると家へと戻った。

 時はすぎ、あれから20年が経った。
「行っちゃうのね……」
 母親は大きくなった彼女を見て涙ぐむ。
「年に一、二回くらいは顔を出すよ」
 彼女は大荷物を引っ越し業者に頼み、自身はトランクを片手に持っていた。
「そうね、ずいぶん遠くの街へ行っちゃうからねぇ……」
 よし、と呟くと、彼女は歩を進める。一度振り返り、か細い声で「いってきます……」と呟いた。
 母親は姿がみえなくなっても、しばらく小さく手を振っていた。
 二月の最後、とても良い日和であった。新たな門出にはとてもふさわしい程に。



【遠くの街へ】

2/28/2023, 11:30:41 AM