くるすけ

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じーちゃんとの思い出
じーちゃんは、寡黙だった。
じーちゃんは、とても背が高くスラッとしていた。
じーちゃんは、白髪で頭頂部が禿げていた。
じーちゃんの顔つきは、やや強面で近づきにくい感じでもあった。
じーちゃんは、演歌やラジオを聴き、首にタオルを巻き、麦わら帽子を被り、外でタバコをよく吸っていた。
じーちゃんは、夜になるとビールをよく嗜み、顔が真っ赤になっていた。
じーちゃん家では、夏はベランダからの花火見物。冬は、クリスマス会と年越しの集まりが恒例の親族行事であった。

遊びに行くと
筍掘りに連れて行ってくれた。
自宅の池で魚を飼うため、網を持ち川に鯉やドジョウを捕りに連れて行ってくれた。
自営の小さなタバコ屋で売っているお菓子やジュースをよくくれた。
夏祭りやお酉さまでは、孫達を引き連れて露店で何でも買ってくれた。
川原で花火や凧揚げにも付き合ってくれ、早朝から保護した雀の餌となるバッタ探しにも協力してくれた。
クリスマスには、デパートで欲しいオモチャを買ってくれた。
竹で竹とんぼや竹馬を作ってくれた。
藪で笹を取り、手製の釣り竿を作ってくれた。
拾った補助輪付きの自転車にペンキを塗ってくれたものが私の初めての愛車となった。
じーちゃんは、花や野菜を作るのが好きだった。
町内会の役員や小学生の交通指導員などもやっていた。

あの頃のじーちゃんは、何でも知っていて、何でもできる私たち孫のヒーローだった。

25年前の桜の舞う3月に、じーちゃんは逝った。
最期は何も食べれず、大きかったじいちゃんが、小さく萎んでしまっていた。
二十歳を過ぎて、初めて人の死を間近に感じた。

父親になり、家族を大切にするじーちゃんの偉大さを改めて感じる。
今でも、じーちゃんは私の目標とするヒーローだ。

7/17/2024, 12:52:13 PM