南葉ろく

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 シナプスからシナプスへ。脳は指令を出し、そして、筋肉へ。肉が隆起する。収縮する。つめて、つめて、そして――。


 鬱屈としていた。つまらない日常と、我慢を強いられる日々に。今も、目の前で人のカタチをした何かが理解のできない言語を喚いている。日本語では、あるらしい。他所で買ってきたもので不満があったから、責任を取れと怒っている。なるほど、理解できない。これはたぶん宇宙人だ。
 最近は嫌なことが立て続けだったので、すこし、こころの入れ物が小さくなっていて。あふれて壊れそうだったのだ。苛立ち。悲しみ。負の感情は容量が大きいので、入れ物に収まりそうになくて。ああ、これはダメだな、だなんて、どうにも他人事のような心持ちでぼんやりと思考した。
 いっそ、感情に従ってしまえたら。最悪な考えだ。そして最高の考えだ。理性は最悪だと、本能は最高だと訴えかける。
 知らず知らず、強く、拳を握りしめていた。脳は力を入れろ、と言っているらしい。爪が食い込む。拳が震える。溜まりきった膿が、体の筋肉という筋肉を硬く硬くしていく。強く、強く、力を込めて、そして。




 自宅の鍵を回す。カチャン、無機質な音が響く。玄関に入り、施錠してから、己の手を眺める。遅緩した手。掌の皮が剥けている。手を握ったとき、ちょうど、爪の当たる場所。ほかに、外傷といった外傷はない。
 安堵と、諦観の息をついた。今日も、つまらない、我慢を強いられる日を終えただけだ。緩む本能を、理性が力で抑え込んでしまったから。
 冷蔵庫を開け、缶ビールに手を伸ばす。感情をすべて流し込むように、一気に飲み込む。喉元を過ぎるソレは、爽快感よりも、苦みが勝って。そういえば、喉元に関することわざがあったな、と思い出す。忘れるにはまだかかりそうだ。まざまざと思い出せる手の感覚を振り返り、再度、ため息をついた。




テーマ「力を込めて」

10/8/2024, 8:56:12 AM