【やるせない気持ち】
所謂ピロートークはあっても無くても平気。
心地良い疲労の中で、どちらからともなく意識を手放すまでの気怠い時間が結構好きだ。
しかし微睡んでいても田舎の月明かりは強過ぎて。疲れているはずなのに上手く眠りに就けないまま、気が付けば一時間程経過していた。
仕事から帰ってくるなり私をベッドへと連行した当人は、隣で背を向け規則的な息使いで眠っている。
彼は長い刑期を終え、今年ようやく私の元へ帰って来た。現在はこの家の簡単な家事と、職探しをする日々が続いている。
社会に於ける、犯罪者に対する想像以上の風当たりの強さ、身の内で渦巻く焦燥感にも似た行き場の無い思い―――彼はそれを夜毎私にぶつけてくる。でもそんなの構わない。
昨夜も、今も、恐らくは明日以降も私は全て受け入れるだろう。
それは私自身の虚を埋める行為でもあったから。
互いの存在無しには居られない、只それだけが今の危うい関係を支えている。
それが愛であろうと依存であろうと、そんな事はもうどうでも良かった。
結局ベッドから身を起こし、床に散らばった衣服の中から彼のジャケットを引っ張って、内ポケットにある煙草とライターを勝手に取り出し火を点けた。けれど私は生まれてこの方喫煙した事がないので、取り敢えずは見よう見真似なのだが……
一息吐くと、幸い咳き込む事もなく、煙は月明かりで青白く光りゆらゆらと天井に登っていく。
それをぼんやり見ながら、自分が吐いた溜め息の大きさに思わず自嘲気味に頬を歪めた。
(何か私、オヤジ臭い?)
「……俺にも寄越せ」
呟くような声と共に彼の背中が微かに動き、怠そうに振り返る。
「ゴメン、起こしちゃった?」
「いや、何か眠れねえ。考え事しながら眼を閉じてただけ」
「あと煙草も勝手に頂いてゴメンなさい」
煙草とライターを慌てて返すと、彼は慣れた手つきで煙草に火を点けながら私に答える。
「別に良い、煙草くらい。……そう言やアンタ、煙草吸うんだな。知らなかった」
「今、初めて吸った」
「ふうん」
尋ねておいて、さほど興味もなさそうな返事だった。
「……これ灰皿の代わりに」
そう言って私は、オルゴール付きの小物入れを彼に手渡した。てっきり空き缶や空き瓶の類が出てくると思っていたのか、今度は困惑の表情で私を見詰める。
「え、けどコレ……」
「良いの。蓋の部分欠けてて元々使ってないし、オルゴールまで鳴らなくなっちゃって。いい加減捨てなきゃって思ってたから」
しかし今の今まで大事そうにサイドチェストの上に飾られていたそれに、煙草の灰や吸い殻を入れるのはどうも躊躇われる―――
そんな彼の心情を汲んで、咥えていた煙草の灰を自ら小物入れの中へ落とし、気にする事はないと行動で示してみせた。
それにしても、彼が煙草を吸うところを私も初めて見た。吸うのは知っていたが、少なくとも以前は私の前で吸う事はなかったからだ。
「私も煙草吸うところ見たの、初めて」
「……あぁ、アンタの前では吸ってなかった。今思えば、昔は気分を切り替えたい時に吸う事が多かった気がする。人前で吸う事自体ほぼなかった」
俯き加減でぽつぽつと当時を語る彼は穏やかな笑みを浮かべているが、その笑みにはほの暗い影も混在していた。
「じゃあ私今、結構レアな君見てるって事だね」
彼の気分を少しでも浮上させたくて、私は明るめの声音で慣れぬ軽口を叩く。
しかしそんな私を見た彼は、むしろ悲痛な表情でしばらく黙り込んだ。
静寂の中、煙草の火だけがジジ、と音を立て赤く光る。私も何も言えず、その赤を見詰めていた。
「……アンタさ」
「ん、何?」
彼は私を呼んだにも拘らず、後を続けようとしなかった。
だが夜はまだまだ長い。
いくらでも彼の言葉を待つ事が出来る。私は俯いたままの彼を急かさず、再びその口が開くのを待った。
「……あのさ」
「うん」
「後悔してねえの? 俺なんか待つんじゃなかったって……思った事、ねえのかよ?」
随分と唐突な言葉に思えたが、それは恐らく彼が私に対して抱き続けていたある種の罪悪感にも似た思いなのだろう。
「こんな職も無いヒモ同然の男養って、そうやって気ばっか遣ってよ……一緒に居たところで昔みたいに戻れない事くらい、判り切ってるだろ」
その言葉の意味するものを、理解するのに少し時間が要った。
何か言わなくてはと思ったが、すぐには言葉が出て来ない。
「潮時を見極めるのも大事だぜ。早めに見切りを付けた方が良いに決まってる」
要約するなら『自分はもうアンタと釣り合わない、別れるなら今のうちだ』という所だろうか。
「……後悔しているなら、とっくに追い出してるけど?」
顔を上げた彼に、私は微笑みながら続けた。
「愛想を尽かすなら、そもそも待ってない」
そう言って私は彼の手を取った。
ひんやりとした温度と少しかさついた私の手の感触が、彼をやるせない気持ちにさせたのだろうか。彼は私から顔を背け、唇をきつく噛んだ。
「―――働ける目処も立たないのに、こんな生活いつまでも続けてる訳にいかねえだろ。アンタの思いに報いる事だって出来ねえ。俺は……アンタの枷にしかなれないんだよ!」
「側に居られるなら構わないし、枷だとも思ってない」
彼との幸せな日々。それは数ヶ月にもならない束の間の日々ではあったけれど、共に過ごし彼の隣で感じてしまった温もりは、私にとってかけがえないものなのだ。
「そこまでして貰える人間じゃねえって言ってんだよ、俺は」
「それは、私が決める事よ。―――さ、もう寝ましょう」
彼は信じられない、と言わんばかりの表情で私の顔をしばらく見詰めていたが、ふぅ、と息を吐いて表情を緩めた。
「……そうだな。お休み」
「お休みなさい」
ようやく睡魔が訪れたのか彼は静かに眼を閉じ、やがて規則的な寝息が聞こえてきた。
「二度と一人にしないでよ……」
呟きは彼に届かないまま、闇へと溶ける。
自分の思いが時に彼を追い詰めているらしい事に、私も気付いていた。
(身勝手だって判ってるけど、……もう君と離れ離れの日々は沢山だから)
見詰めていたはずの彼の姿が、滲んでぼやけていくのを無視して眼を閉じる。
(―――側に居ると決めたから)
彼の寝息のリズムに呼吸を合わせるように、私もゆっくりと眠りに落ちていった。
8/24/2023, 6:56:43 PM