天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、
「君の、最後の言葉がなんだったか――だよ」
どんよりとした分厚い灰色の雲から、大粒の雨が降り注ぐ。蝙蝠のように黒い傘を叩いて滑り、墓石や土の地面に落ちていく。
何時間、そうしていたかも覚えていない。傘と同じ色のズボンの裾は濡れて重くなり、靴の中も雨水が入り込んでいる。気持ちが悪い、今すぐ家に帰って冷え切った体を、温かいシャワーでいたわりたい。
そう思うのに指一つ動かない、傘の柄をきつく掴んだ手は氷のように固まってしまった。
「なぁ、きみは最後になんて言ったんだ」
死ぬ直前。真っ白で統一された病室で電子音が響く中、呼吸器をつけた彼女は虚ろな目で、こちらを見ていた。ベッドに力なく横たわる身体は枯れ枝のごとく弱々しく痩せていて、見ているだけで痛々しい。
乾いた、かさかさの唇を何度も動かして訴える。しかし彼女の喉は機能してなかった。声はなく、もはや呼吸音すらか細い。もう死ぬのだといやでも分かった。
彼女の母親がしきりに彼女の手を揉み、頬を擦りよせた。泣きながら話しかけていたが、彼女の意識はどうでもいいクラスメイトである自分に向いていた。
場違いな自分が呼ばれた理由も不明で、ただ見つめ返す。彼女は何度も口を開く。何度も、何度も、何度も。
やがて力尽きた彼女は目を閉じる。唇の動きも鈍くなり、
「――」
彼女の死を、電子音があっけなく教えた。
「なんて、いったんだよ」
彼女が元気なとき、いつも天気の話からしてきた。多分話題が思いつかないのかもしれなかった。それでも話しかけてきた理由すら、知らない。そういえば。
死に際、彼女の目線は窓の外に一瞬だけ向けられた。いつものように、天気を確認するみたいに。そして「今日は雨だね」と笑いかけたりする。
彼女は、他にも、何か日常で言ってなかったか。
「ねぇ今日は雨だね」
「曇だね、肌寒い」
「雪だよ! 寒いけどきれいだね」
「晴れたねぇ、熱中症には気をつけて」
「ねぇ、今度、雪が降ったら」
降ったら?
伝えたいことあるんだよ。
「……あぁそうか」
傘をたたんで、雨に濡れる。死んだ日、雨が降っていた。雪ではない。彼女が求めていた天気では、なかった。
――ゆきじゃない、ざんねん、だね。
言われてないのに、声が再生される。
なぁ。天気の話なんてどうだっていいんだ、僕が話したいことは。
きみの、伝えたいこと、だったんだよ。
5/31/2023, 10:41:38 AM