優しさ
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「………く、お……さく、…て」
少女のあどけない声が聞こえる。
まだふわふわと夢見心地の頭に響く。
「もう、いいわよ……柳がせっかくお見舞いに来たのに!」
「ふふ、大丈夫ですよ。……幸来様もお疲れなのでしょう。お菊様も昨晩は誠にありがとうございました」
──昨晩。記憶はないが、またあの枯れ木のような男の仕業だろう。良かれと思って、悪気など無く、私の記憶を奪っていったのだろう。
瞼が重い。
「覚にさ、辞めてって言わないの?」
「あの子はあの子なりに、幸来様を案じているのですよ。発生してまだ数百と少し……幼子なのですよ」
「子供だからってなんでもしていいわけじゃないの!」
ダンっと畳を叩く音がした。
衣擦れの音がさらさらと鳴り足音が少し遠ざかったあと、さぁっと襖の開く音が聞こえた。
「柳が言わないなら私が言う!もう、柳だって五百とちょっとしか生きてないくせに……まださくらのほうが大人みたいじゃない」
彼女がそこまで言い切った途端、ふっと意識が軽くなった。いつも通り、都合のいい目覚めだ。
「おや、お目覚めになられましたか、幸来様」
「……さく」
襖の側に目をやるとバツの悪そうな顔をした菊がいた。
おかっぱ頭の薄桃色の着物を着ている女の子。
私の側には柳が座っている。
白髪で灰色の着物に青磁色の羽織を着たお婆さん。
「昨夜は本当にお疲れ様でございました。体調は良好でしょうか?」
「さ、さく……あの…」
きゅうっと小さい体をさらに縮ませてたたらを踏みながらもぞもぞと話し出す。
「わ、私が!アイツ……覚に言ってあげる。さくにヘンなことすんなって、だから、その…………」
菊は、とても優しい。そう。とても優しい。人間よりも。
「菊、ありがとう。でも大丈夫。これは私の問題だから」
「…………う、ん……」
菊は俯いて、消えてしまった。溶けるように。まるで綿飴みたいに空気に溶けて消えた。けしてグロい溶け方ではなかった。
「幸来様も意地の悪いお方ですね」
くすくすと柳が笑う。
「わたくしから、覚に"お話"いたします。個人的なことですので、お気になさらず」
そう言って、柳も溶けていった。輪郭がぼんやりと滲み、気づいた時にはパッと消えていた。
優しい、優しい声が頭にこびりついていた。
『サク。咲く。もう、だいじょぶ。幸来、守るから。だいじょ、うぶ』
それは蜘蛛の糸。
枯れ木に絡んだ、ベタついた糸。
桜の蕾は咲かずに落ちた。
1/27/2026, 12:30:07 PM