はろ

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 僕にはとてもうっかりしたところがある。

 先日も、取引先に渡す見積もり書類の中に、うっかり僕のSNSのホーム画面のスクリーンショットを紛れ込ませてしまった。何がどうなったらそんな間違いが起こるのかはわからないが、とにかく僕にはとてもうっかりしたところがあるのだ。
 取引先は見積もり内容に満足し、僕の会社に案件を発注してくれることになった。つまり、僕と取引先のひとはそれからも顔を合わせることになったわけだ。
 いつもにこやかに微笑む彼の頭の中には、しかし確かに紛れ込ませてしまったアレの記憶が残っているはずである。僕の顔を見るたび、SNSアカウント『あやちゅ激推し@一生ファン太郎』のことが脳裏によぎっているに違いない。
 そう思うと、僕の心はざわめく。ざわ……ざわ……。穴があったら入りたい気持ち。
 名前をつけるとしたら、羞恥心ということになるだろうそれ。だけど、仕事なので逃げる場所はない。

 近くのコンビニで、あるおばちゃんにレジをしてもらう時も、僕の心はざわめく。なぜかといえば、以前猫耳のカチューシャを頭に着けたままこのコンビニで買物をしてしまった時のレジ担当が、このおばちゃんだったからである。
 おばちゃんがあんまりにも僕の頭を凝視するものだから、僕はやっと自分のうっかりに気付いた。猫耳カチューシャはあやちゅのファングッズで、時々こっそり家で着けているのだが、忘れてそのまま家を出てしまったのだ。
 あれからというもの、僕にはおばちゃんの営業スマイルが、猫耳男を嘲笑する顔に見えている。別の店や、別のレジ担当を選んで買い物すればいいのだろうけれど、僕のマンションの近くにはコンビニはここしかないし、ここのレジは十回に八回くらいの確率でこのおばちゃんなのだ。ざわ……ざわ……。背中がぞわぞわして、顔が赤くなるのを感じながら。
 それから、それから……。
 髭剃り機の軌道をうっかり逸らして眉毛が半分無くなったまま出社した時、上司を間違って「お父さん」と呼んだ時、あやちゅのライブでペンライトと間違って発煙筒に点火してしまった時。
 心はざわめき、胃が締め付けられ、僕は落ち込んだ。

 そんなある日、僕は奇妙な男に出会った。変な髪型に変なスーツを着た男は、僕のマンションの部屋の前に直立不動で立っていた。

「わたくし、未来デパートからお客さまにとっておきの商品をご紹介いたしますため参りました。こちら、お望みのものを一つだけ、物質でも非物質でも何でも消失させることの出来る機械なのですが……」

 男がアタッシュケースをガバっと開くと、そこにはホッチキスにしか見えないものがずらりと並んでいた。

「ただいま試供品をお配りしております。壊れた家具から核廃棄物、忘れられない失恋から呪われた風習まで、全てをきれいさっぱり消失してご覧にいれます。どうぞ一度お試し下さい、きっとお気に召していただけますから」

 男はホッチキスを僕の手に押しつけると、いつの間にか幻みたいに消え失せていた。
 なんとも怪しい話だ。けれど僕は冗談のつもりで、ホッチキスを握りながらこう願ってみた。この心のざわめきを消してほしいと。


 それからというもの、僕の心はざわめかなくなった。左右の足にそれぞれ革靴とスニーカーを履いて出かけてしまった時も、会社の電話対応でどちら様ですかと言おうとして『何様ですか?』と言ってしまった時も、取引先へのプレゼンでスクリーンにあやちゅと猫耳の僕のツーショットチェキを表示させてしまった時も、僕の心はすこしもざわめかなかった。
 そして今日、僕はコンビニに出かけ、警察を呼ばれそうになっている。どういうわけか、ズボンを履かずに出かけてしまったからである。Tシャツにパンツ一丁の男など、通報されて当然である。けれどそれでも、僕の心はけしてざわめくことはない。
 そのとき、僕はふと思った。どうせ消すなら、僕のうっかりしたところを消せばよかったんじゃないかって。
 うっかりしていた。
 とにかく、僕にはとてもうっかりしたところがあるのだ。

3/16/2025, 3:44:11 AM