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私は必死に走っていた。
無我夢中で。
周りの目なんて気にせず。
どこに向かっているのかも分からないまま、とにかく走った。

息が上がっても、汗が滴り落ちても、足が縺れそうになっても、私は走るのをやめなかった。

周りの人にとって、それは異様に思えたに違いない。
彼らの反応は様々だった。
仲の良い同級生は、私を応援してくれた。
真面目な先輩は、私を褒めてくれた。
優しい先生は、私を心配してくれた。
私の母親は、私に何もしてくれなかった。

何度も何度も足を止めたくなった。何度も何度ももうやめたいと泣いてしまいたかった。
でも、そんなことは出来なかった。
母の関心を引くためには、走り続けるしかなかった。
どんなに足を動かしても、母が私を応援することは無かった。
どんなに汗を流しても、母が私を褒めることは無かった。
どんなに息が切れても、母が私を心配することは無かった。
それでも、いつか、母が見てくれるかもしれないという期待を背負って、走り続けていた。

そんな私は、ついに小石に躓いて転んでしまった。

それが痛くて苦しくて悔しくて、とうとう涙が溢れてきた。
涙が止まらなかった。
擦りむいた足が痛くて、立ち上がれないほどで。
でも止まる訳にはいかなかったから。
なんとか立ち上がろうとした。
そんなとき、誰かが私の肩を掴んだ。

「何、してるの!!」

母だった。
今まで聞いたことないほど、大きな声で彼女は私に怒鳴った。ただ、息がきれているようで、とても苦しそうだった。

それほどの怒りということだろう。

私は震えた。彼女に認めてもらいたくて、一度も止まらずに走り続けてきた。
しかし、結局、躓いて、起き上がれなくなっている。
彼女は怒っているのだろう。落胆したのだろう。軽蔑のしただろう。


私は、この日から逃げていたのだ。

彼女に見捨てられていまうこの日から。


私は涙を流した。
もう逃げることは出来ない。
走り続けて疲れきった私の足ではもう立ち上がることも厳しい。

涙が止まらない私を彼女は抱きしめた。

「どうして頼ってくれないの!!」

彼女もまた泣いていた。
私を想って泣いていた。

怒りながらも、私を撫でる手は、昔と変わらず優しかった。

いつからか、私は母に認められたくて走り出した。
1人で何でもやってきた。
母が私を見てくれるように一生懸命に。

でも違った。

母はずっと私を見ていた。
私がいつ転けてもいいように、私をいつでも抱きしめられるように、必死に走る私の後ろを必死に追いかけていた。

無我夢中に走る私は、そんな母に気づかずに、ただ、目の前の、母のいない光景だけが事実だと信じて。
私を見守る母を私は見ていなかった。

「さぁ、帰ってご飯にしよう。」

そう言った母は、もう怒っていなかった。
優しい顔をした母に私は何も言えなかった。

私の手を引いて、母は今来た道を帰り始めた。
とにかく進むことしかしなかった私には、それがとてつもなく悪いことに思えた。
私は足を止めて、元の方向へと走ろうとした。
だが、それよりも前に母がこちらを見た。

「大きくなったね。」

母はそう言って笑った。
いつの間にか、母を見る私の目線は下へと向いていた。

「頑張ったね。」

母は、私の手を少し強く握った。
振り払えるくらいの握り方だったが、私はそのまま手を引かれ続けた。

「あなたがとっても頑張ってたから、ご褒美にいちごのケーキを買ってきたよ。」

大好物があると聞いて、私は急にお腹が空いたように感じた。

今まで、走ることに一生懸命で、お腹が空くことも喉が渇くことも感じたことが無かった。

「飲み物は紅茶がいいな。」

急に喉も乾いてきた私は、母にそう言って、母よりも前に出た。
母の手を引く形で家路を辿る。

「もちろんよ。」

そう答えた母の手を感謝の気持ちを込めて、握り返した。

「明日は雨が降るから、傘をさしていきなさいね。」

母がこういった日には、絶対に雨が降る。
雨が嫌いな私は少しげんなりとした。



明日になったら、私はまた、前へ進むべきなのだろう。

今までは、雨が降っても傘をささずに走っていたけれど、母に言われてしまったから、明日は傘をささなくてはならない。
傘をさしながら、走るのは難しいだろう。
それならば、仕方がないから歩くしかない。



2つの傘が並んでいる様子が、頭の中に浮かんだ。







ただ、必死に走る私。何かから逃げるように。

5/30/2023, 3:42:06 PM