涙想々

Open App

 電子の波が走る液晶の向こうで、今日も清楚に身を包んだ女性キャスターが言葉を紡ぐ。ここ数年ですっかり耳に馴染んでしまった異常気象の四文字は、例年通りの四文字を忘却させてしまうほどだ。
 今年のGWは、例年より5度ほど平均気温が高く⸺そう続ける声にも例年との気温差を憂う様子は聞き取れない。もはや何が正常で異常か、その判断すらも危うくなっているように思える。
 而して、目下の課題はそのような哲学的なことではなく、タンスから引き出す衣類の判断であった。
「半袖だとまだ朝晩は冷えるかな。かと言って長袖で汗かいても風邪ひいちゃうし…」
 顎に手を添えて目を細めた美翠は、数秒の苦渋の末に半袖のTシャツと薄手の長袖シャツを二組取り出した。気温に適した無難な判断に思えるそれも、対象者に限ってはそうとも言えない。
「和は…忘れるかな、うん」
 前科がいくつか数えるのは途中でやめた。のんびりとした自分のペースで動いているからか、本人も反省の色は持っていない。注意力は自ずとついてくるだろうという希望を持ちつつ、美翠は慣れた手つきで連絡帳にボールペンを走らせる。
 保育士も多忙な業務の最中、園児一人の朝の装いを完全に覚えていることもないだろう。朝は冷えるためシャツを重ねて登園する、忘れても後日引き取る旨を記載すれば、少しは業務負担の軽減になるはずだと信じ、兄に丸印をつけてサイン代わりに。
 そうしているうちに、時計を見れば双子を起こす時間。布団から這いつくばるように出る二つの頭に、ぽすんと手を乗せて軽く催促をする。朝の身支度は早めに流れたほうが何かと都合が良いものだ。
 二者の挨拶を背中に、布団を畳もうと下に腕を伸ばせば、袖口が手の動きを邪魔する。
 はて、袖はそこまで長かっただろうかと首を傾げれば、目の前の姿見に写る肩口が随分と空いていた。なるほど厚みかと、独りごちて納得し、久しく日光に当ててもいない腕の細さを見る。
 今年の夏も自身の半袖が干されることはないのだろうと、例年通りに冷たい指先を擦り合わせて息を吐いた。

5/29/2023, 3:53:14 AM