今日のテーマは『旅の途中』ということで。
今回は以前書けなかったテーマである『羅針盤』を交えながら書いていこうかなと思います。最初に宣言しておきますが、テーマを二つ絡めるので、いつもより長文かつ散文になると思いますので、その点は悪しからず。
現在はGoogleマップをはじめにナビのアプリがあるので、『羅針盤(方位磁石・コンパス)』なんて日常では使いませんが、昔は『羅針盤』と簡易な地図を頼りに旅をしていたと思います。現在地を知り、そして目的地に向かうために『羅針盤』を使っていたわけですね。多分。
ところで、人生を長い旅路に例えることがあるわけですが、そんな旅路における『羅針盤』とはなんなのか、なんてことを私は思うわけです。
旅路の果てはきっと死なので、現在進行形で生きている状態の我々は『旅の途中』なのだろうと思います。
ただ、現在地はわからない、どこに向かっているのかもわからないという時期があると思います。特に社会人になってみるとその傾向は強く、生徒・学生だった時期がいかに現在地と目的地がはっきりしていたかを痛感します。
自分の現在の所在や目的地がわからない人は、ときに「なんのために生きるのか」「人生の意味は何か」なんてことを考える人がいたります。そして達観したように「人生に意味などない」なんて語る人もいたりいなかったり....。
どこかで見かけた台詞ですが、私は我々が人生に意味について問いかける立場なのではなく、問いかけられている立場だと思っているので、その問いかけをしたくなる気持ちは理解しつつも、ナンセンスなのではないかな、と。
同様に、未だ人生という旅路の途中であるものが人生に意味などないと断定することについても。そのように割り切った方が楽だとは思いますが。
さて、話が脱線しましたが、人生における『羅針盤』についてですが、それは信念とかポリシーとかそういうものではないかな、と。二十数年の人生を振り返り思うわけです。
何が正解かわからない、主観と客観によって決断に対する評価が異なる世界において、信念やポリシーというもので進む道を決めたものに関しては、結果はどうあれ後悔のない歩みをしてきたな、と。
ただ、結果がどうあれと書いたように、その『羅針盤』は必ずしも正確に方角を示すわけでもないし、求めた目的地に誘ってはくれないと実感しています。努力しても結果が出ないとか、努力はしたけど努力の方向性が違った、というのに似ているかもしれませんね。それでもないよりはマシなものではないかな、と。そう思っています。
あと『羅針盤』ではありませんが、知識や考え続ける姿勢は現在地と目的地を知るための一助になっているような気がします。というのも、私は専門職なので特にそのように感じますが、知識は現在地、現在の専門職としての技量を教えてくれ、考え続ける姿勢は何が自分には足りないのか、次に学ぶべき目標を知るきっかけになっているのかな、と。
ただ、色々と書いてはみたものの、結局のところ「多分、私はこの場所いる」「多分、ここに向かっている」というように「多分」というのが付き纏い続けるのが人生という旅路のなのだろう、と。だから『旅の途中』における正確さはあまり気にせず、自分だけの『羅針盤』を頼りに歩み続ければいいのではないかと、そう思っています。
はい、最初の予想通りに長い散文になりました。
書いた時間も50分と長かったです。
ちゃんとまとまったかわかりませんが、今日もテーマはこのあたりで終わろうと思います。
1/31/2025, 1:12:11 PM