sairo

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誰もいない教室で一人、迎えを待っている。
窓の外から聞こえる運動部のかけ声。吹奏楽部の練習の音。
何一つ変わらない。いつもの放課後だ。

一人足りない事を、誰も気に留める事などいない。

存在しないとはこういう事かと、どこか呑気に考えながら、使う者のいない机の縁をそっとなぞった。
窓の外を見遣れば、赤い空が段々に色を黒に染めている。
すっかり日が沈むのが早くなってしまった。こうして待つ時間も、少しずつ短くなっていく事だろう。
椅子を引き、腰掛ける。
誰からも気に留められない、この机の前の席は、自分の席だ。
席に座り、後ろを振り返って色々な話をした事が、遠い昔のように思える。実際には、二月ほどしか経っていないというのに。
ふふ、と思わず笑う。過去を懐かしむなど、大人のような気がして可笑しくなってしまった。

「夏休みは大分濃かったから、待つ時間はこれ位がちょうどいいのかもね」

誰にでもなく呟いて、伸びをする。
待つのは嫌いじゃない。
約束をした彼女を信じているから。

彼女は彼女ではなくなるのだと言われた。神との契約によって、新しくなるのだとも。
正しく理解は出来なかった。
だから会いに行った。会って、時間の許す限り話して。
そして約束をした。
今度は会いに来てほしいと。待っていると。

待つのは嫌いじゃない。
時間が掛かる事など、分かっている。
覚えていないだろうと言われたのだ。自分の事だけを忘れず会いに来てくれるなど、都合の良いおとぎ話を信じたりはしない。
けれど、約束をしたから。
きっといつか思い出して、会いに来てくれると信じている。だから、待っているこの時間は、嫌いではなかった。

「そういえば、学生の時はここで待てるけど、卒業になったらどうしよう。いっそ留年した方がいいかな」
「それはやめて。というか、なんでそういう選択肢が当たり前のように出てくるの」

誰にも拾われる事がないであろう呟きに、返る言葉。
呆れたような、懐かしい声音。

「えっ?なんで?」

教室の入り口。声のした方を見ると、約束をした彼女が呆れた顔をして立っていた。

「なんでって、約束したからに決まってる」

慌てて駆け寄ると、小さく笑われる。
姿もその表情も、変わらない。
理解が追いつかず、頭にたくさんの疑問符を浮かべると、彼女の笑顔が、少し困ったようなものへと変わる。

「なんで?てっきり年単位で待つんだと思ってたのに」
「なんでだろう。割とすぐに思い出せたんだよね」
「なにそれ。あたしの覚悟をどうしてくれる。でも、早く来てくれたおかげで、留年するかどうかの究極の選択はなくなったから良かったけど」
「だから、なんでその選択肢が当たり前のように出る」

はぁ、と溜息を吐かれる。
そんな所も変わらない。夏休みが訪れる前に戻ったようだ。
「なんか、変わらないね。もっとこう、きらきらしてたり、すごい美人になったりとかも想像して、会えても分かるか少し心配だったんだけど」
「人並みで悪かったね。これでも新しくなったんだけど。元の体は厳重に封印されてしまったから」

だろうな、と頷いた。
普通の人には耐えられない程の呪を抱えて、長い年月を生きてきたのだと聞いた。
新しくなるならば、その呪とやらもなくなってしまうのだろう、むしろなくなってしまえと思っていたのだから、何の不満もない。
けれど、彼女はその肯定を別の意味で捉えたようだった。

「外側も中身も変わってしまったから、会うべきか悩んだのだけれど。一応約束だったからね」

来た事を申し訳なく思っているようなその表情に、むっとした。
頬を両手で包んで、目を合わせる。

「変な勘違いをしないで。約束する時に言ったけど、人でも呪でも関係ないの。外側がぐちゃぐちゃしてようが、中身がどろどろだろうが、あたしの親友なんだから、堂々とあたしの側にいればいいの」

目を逸らさず言い切れば、どこか幼い瞳が不思議そうに瞬く。
変わっていないように見えたが、どうやら新しく生まれたのは確からしい。
そんな事を思いながら名前を呼ぼうとして、まだ新しい名前を聞いていなかった事に気づいた。

「名前。まだ聞いてなかった。教えてくれる?」

頬から手を離し問いかければ、彼女はとても嬉しそうに笑う。
名前を聞かれるのが、それを答えるのが幸せだと、彼女の笑顔が告げていた。

「黄櫨《こうろ》」

黄櫨。新しい彼女の名前。
音の響きでしか分からないはずのそれが、正しく認識出来て少しだけ苦笑する。
名付けた神の主張の激しいその名に、呆れに似た感情が浮かんでしまう。
彼女が幸せである限りは、言葉にする事はないだろうけれど。

「じゃあ、黄櫨。改めて、会いに来てくれてありがとう。これからもあたしと親友でいてくれる?」
「もちろん。これからもよろしく、曄《よう》]

くすりと、どちらからともなく笑い合う。

「おかえり、親友。ここにはどれくらいいられるの?」
「ただいま、親友。卒業まで一緒にいられるよ。人らしく生きるのが、神様の望みだからね」

手を差し出せば、当たり前のように手を重ねて繋ぐ。
待っていた日常が戻ってきた。
それが嬉しくて、繋いだ手を揺らしてもう一度声を出して笑った。



202401013 『放課後』

10/13/2024, 10:05:34 PM