紺屋小町

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たくさんの思い出があるはずだけど
全部は思い出せない。
思い出せないからもう忘れてしまったのかもしれないと
思っていたけれど、例えば匂いとか、音とか、空気とか
五感がちゃんと覚えていてくれて、時々突然に思い出を
呼び醒ましてくれる。

ぼくときみの場合でいうとね、
匂いは、やっぱり金木犀かな。ぼくたちが暮らしたあのアパートの角を曲がる時の匂い。少しずつ寒くなってきてさ、冷え性のきみの手が冷えはじめてさ、つないだ手のままぼくのポケットにつっこんでたよね。
音はさ、カエルの鳴き声だよ。笑っちゃうだろ。まだぼくたちが知り合ったばかりの頃、電話で話しててさ、ぼくの話し声の向こうから変な音が聞こえるってきみが言ってさ、「カエルの鳴き声だよ」ってぼくが言ったらさ、きみビックリしてたよね。あれからすぐにきみはそのカエルの鳴き声が響く町に引っ越してきてくれたね。
あとは、場所。空港とかさ、駅とかさ、ここに行くと絶対君のこと思い出すよーって場所がある。

でもさ、ぼくの五感の記憶だけじゃ足りないよ。
きみの五感のちからも貸してほしいよ。

きみがもう一回、この世界に帰ってきてくれないかな。
そしたらさ、絶対忘れないように全部ノートに書くのにさ。


“たくさんの思い出"

11/19/2022, 1:54:57 AM