【少女と男】
⸺もしも時間を止められるなら、どう使う?
大好きな男が聞いてくる。
私だったら、短い時間しか見られない景色を長く見るために使うかも。だって、嫌いな人間より、自然の景色の方を一番頭に残しておきたいから。
男は笑った。
こっちが恥ずかしくなるくらい、大笑いした。
どうして笑うのかと聞いたら、「素敵な使い道だから」って、答えが返ってきた。そんなに素敵な使い道なの?
男は頷いて、私の頭を撫でてくる。
私の頭を撫でながら、「そうさ。とても綺麗で、とてもお前らしい使い方だな」だって…嬉しい。男に褒められて、頭を撫でてもらうのは、嫌じゃない。
褒められて、頭を撫でられるのは、私だけ。他の誰でもない、私だけの特権。
いつもと同じ、鶏の鳴き声。
男が帰る時間になった。
いつもは、手を振ってさよならするだけ。
でも今日は、男の顔が少しだけ暗かった。
だから私は、男に抱きついた。
男は驚いた顔をした。だけどすぐに笑顔になった。そして私を抱きしめてくれた。
少しだけ苦しいけど、暖かい。こんなに密着したのは、男とはじめて会った日ぶりだった。
それから男は山を下りていく。
いつも通り私は、男が見えなくなるまで見送る。
もっと、引き留めておけば良かったかな。
*
「なぁなぁオジサン。オレら見ちゃったぜぇ、山に入って行く、と・こ・ろ」
「あぁ。それに貴様から、腐った血肉の臭いが香っている」
「……お主、山で何をしておった」
朝日に包まれ、段々と生き物が起き始める。この大通りをもう少し進めば男の家。そんないつも帰り道なのだが、今日は違った。男は、バラバラな服装の男女⸺よく見ると皆、腕には真っ赤な腕章を着けている⸺に囲まれた。
「貴方達は…自警団、ですか」
男の問いに、軽薄そうな男が答える。
「そ。村の平和を守る、自警団。あっ、オレはシュレンな。そこの剣士がリンドウ爺ちゃんで、向こうの女の子がレマちゃんな」
偉そうな女⸺レマが聞く。
「この山は、近頃村の女子供を喰らう妖の住処があるとの知らせがあった筈だ。それなのに、何故夜明けにこの山から下りてくる。事と次第によっては貴様…首が飛ぶぞ。⸺それとシュレン。お前も頭と身体を分けたいか?」
「えっ!?いやいやいや、じょーだん、冗談ですよね、ね?」
「私は冗談が嫌いだ」
「あっ…すんませんッス!全部終わったらオレ奢ります!!だからどうか許してください!!!」
「ふむ・・・一考はしよう」
「あざっす!!!」
騒がしい男女を無視し、男はこう答えた。「朝早くに目が醒めたので何も考えず散歩をしていたら、山を登っていた」と。
刀を持った男⸺リンドウが話す。
「……お主のことは、数日前から見張っていた。だからワシは、お主が妖と親しげにしていることも、知っておる」
自警団の人間の壁の外が、様々な用で大通りへ出てきた人によって、徐々に騒がしくなる。
「えっ、そうなんスか?レマさん、知ってました?」
「私は初めて聞いたぞ、そんなこと」
「一人で勝手に調べ、追跡しただけだ。だから、証拠と問われても出せんが」
シュレン、レマ、リンドウの三名に問い詰められた男は、散々悩んだ末、青ざめた顔で答えた。
「俺は、妖と、仲を育んで…おり、ます。これは、紛れもない事実、です」
指先が⸺否、全身が震え膝をつく男。喉に手を当て、はぁはぁと息を吸っている。
「えっちょっ、オジサン、大丈夫ッスか?」
「あ?仮病…にしては目の焦点があっていない、か。医者!医者は居ないか!」
シュレンとレマは男に駆け寄り、心配と医者を呼び込む。
しかしリンドウは⸺自警団や、野次馬の中にいる、古参の人間たちは⸺動けなかった。
「なんじゃと…ならば、あの妖が……?しかし姿が…もしや、術の影響か?!だが、もしあの妖が、あやつだとしたら、この者は…もう……」
「リンドウ!何か覚えがあるのか!私にも教え」
パチンと音が鳴り、レマの言葉がまるで止まったように途切れる。野次馬たちのざわめきも、空を飛ぶ鳥も、止まっていた。
「さっきぶりだね、おじちゃん♪あっそれとも、初めましてって言った方がいいかな?ま、いいや」
誰も声を出せない静かな空間で、声が聞こえる。
誰もが直感する。逆らえないと。
今この状況では。視覚と聴覚が機能している以外、何一つ動けない今では。
「村の人、大体が初めましてだなぁ…やっぱり、封印はもう懲り懲り。次は封印されないようにしないとだな〜」
少女は歩く。自らの通り道にいる止まった人間は、女子供なら引き千切って■を□み、男や老人は空高く投げ飛ばす。少女が触れるものは僅かに動くが、その僅かな隙は少女自身によって潰されていく。
やがて、男の元に辿り着く。
「ねぇ、おじちゃん。ありがとうねぇ…封印を破って、ボロボロだった私を拾ってくれて。私の妖たち、それからおじちゃんに意地悪してないでしょ!」
少女の声を聞く度、耳の隣で鐘を鳴らされているような、轟音が聴こえる。
「私は一応まだ妖だけど、あの山の周りだけなら、神様でもあるの!だから、時を止めるなんて朝飯前。それでね、おじちゃん。私はね、死は自然なことだと思うの」
少女の声を聞く殆どの者が、視界を閉じる。一度閉じた視界は開かず、閉じたところで声はずっと続く。
「おじちゃんの苦しいって死にかける自然の景色!すっごい…キレイだよ♪」
男の目に、涙が溜まる。溢れる涙は、痛みなのか、恐怖からか。そんな溢れた涙はすぐに動かなくなる。
「私ね、いいこと思いついたの。餌の管理なら、生贄を要求すればいいんだよ!反対する子はみーんな、私のご飯♪いい考えでしょ?」
再びパチンという音が響き、動かなかったすべてが動き出す。山の神を自称する妖の少女の提案に対し、村の人間たちは⸺………。
***
「⸺ていうのが、この村の生贄儀式の始まりだったりして!」
古き良き駄菓子屋にて、記者と名乗った女は駄菓子屋の店主に自身の考えを話す。
「いやぁ…どうだか。儂らの村の生贄は、生贄とは名ばかりで、ただその年に取れた食物を山の祠に捧げにいくだけじゃからのう。お前さんの話だと、村の人間が本当に承諾したのかが抜けておるぞ」
算盤を弾きながら、女の考えを否定する店主。
しかし女はにやりと笑い、こういった。
「でもでもっ、今年の生贄は本当に生贄を捧げることにならないよう、気をつけなきゃね」
⸺その後行われた、その年の儀式の最中、駄菓子屋の店主の行方が分からなくなったらしい。
9/19/2024, 11:34:17 PM