ベッドの上で散々ふざけ合った後、あなたはまだ熱の帯びた肌を、シーツからそっと離して、立ち上がった。
「帰らなくちゃ」
「え、もう帰るの? 早いね」
「だって、夫が帰ってくるもの」
旦那さんの事を言う時、あなたの声はどこか硬い。私はベッドに寝転んだまま、あなたの背中を見つめる。旦那さんの為にメイクをなおす、あなたの背中はきれい。
「へえ、あなたって旦那さんが帰るのを家で待つタイプのひとなんだ」
吐き出したのは意地悪な言葉で、私は喉の奥がすこしだけ熱くなる。
嫉妬なんて馬鹿みたい。
あなたは振り返り、眉を軽く上げてにっこり笑って言った。
「そうよ。そういう女よ。家に帰ったら、誰かいた方がいいでしょ?」
「そう思うのってやっぱり罪悪感?……女同士でこんなことしてるから?」
私はわざと軽い調子で言うけど、心はどこが、落ち着かない。すがりたい気分であなたの答えを待ってる。
「そう思うなら、思えばいいわ」
あなたは肩をすくめて、鏡の前で前髪を整え始める。その仕草が、いつもより少しぎこちなく思えるのは私の願望?
「ふーん。夫を待つために帰るなんてさ、やっぱり私には結婚なんて絶対無理」
私は枕に顔を埋めて、わざと大げさにため息をついた。
「そうね、それがいいわ。あなたは結婚なんてしないで」
「勝手なことばっかり……ねえ、旦那さんのこと、どこが好きなの?」
私はベッドから身を起こして、あなたの横顔を見つめる。
あなたは鏡に映る自分をまっすぐ見つめて、丁寧に髪をとかす。
しばらくして、あなたは答えた。
「夫はね、木陰みたいな人なの」
「木陰?」
「そう。静かで、穏やかに包みこんでくれる。そっと揺れる木陰そのものよ。夫はわたしに、世界で一番優しい場所を与えてくれるの」
あなたの声は柔らかい。でも私はその奥に滲む寂しさを探している。
「なんか詩的な表現だね、でも嘘っぽい」
また、意地悪な言い方をしてしまう。私は、胸の奥がちくりと痛む……でもあなたはくすくすと笑って言った。
「嘘っぽかった?」
「世界一優しい場所なんて、嘘っぽいよ」
「そうよね、大げさだったわよね」
あなたがあまりにも楽しそうに笑うので、私はベッドから出て、あなたにキスをする。
長い長いキスの後、唇を離すとあなたは言った。
「もう……せっかくメイクなおしたのに」
「リップはまだ、してなかったでしょ」
「……どうしてあなたとのキスって、泣きたくなるのかな」
あなたの目は潤んでて、私は強く抱きしめたくなる。ずるい、と思いつつ私は答える。
「好きな相手だからじゃない?」
「私は夫を愛してるのに」
あなたの声は震えていて、まるで自分に言い聞かせるよう。ずるい本当に。私に言わせるなんて。
「だって、あなたが本当にあなたのままで愛し合えるのは私だからじゃない? 身も心も」
「意地悪言わないで」
私はあなたの手を握りしめて言った。
「好きだよ……私はあなたの木陰になれないの?」
あなたは私の手を握り返し、でもすぐにそっと離す。
「私も好きよ、あなたのこと。特別だし大切に思ってる。でもあの人には必要なの、自分が優しくなれる相手が。誰かの木陰でいられることに、一番安心しているのは、あの人なの」
そう言って、あなたはバッグを手に部屋を出ていく。
ドアが閉まる音が、静かな部屋に響く。
私はベッドに倒れ込み、あなたの香りが残るシーツに顔を埋める。
頭に浮かぶのは――世界で一番優しい場所に帰るあなた。
揺れる枝葉の下で、あなたは微笑んでいる。何本にも別れた逞しい木の根が、あなたに絡みつき閉じこめる。優しさに揺れながらあなたは、静かにゆっくりと呼吸を浅くしていく。
7/18/2025, 5:45:23 AM