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涙の理由


妻が、泣いている。

それに気付いたのは、毎週欠かさず観ているドラマの終盤だった。CMに入った時、何気なくキッチンに立つ妻に視線を送ると、妻が静かに涙を流していた。
僕は一瞬思考回路がショートした。
というのも、妻とはもう結婚して15年、出会って18年経つが、その間に彼女の泣き顔は一度しか見た事が無かったからだ。その一度は、彼女の母親が亡くなった時。それ以外は見た事がないのだ。
感情が乏しいわけではない。よく笑うし、よく怒るし、よく落ち込む。けど、涙が出そうになっても、彼女は唇の裏をグッと噛み、必死に堪えるのだ。
一度、泣いたっていいのにと声をかけた事があったが、彼女は曖昧な笑みを浮かべて「好きな人に泣き顔見られたくないの」と何ともいじらしく答えたのだ。
涙を見せないのは、彼女の矜持でもある。

そんな彼女がハラハラと涙を流しているではないか。
これは一大事である。何か重大な事が起こったに違いない。
僕は、必死に考えた。
何かしてしまったのだろうか、気付かないうちに彼女を傷付けた?それともドラマの内容?いや、そんな感動するようなシーンはなかった。では、悲しい過去を思い出した?体調が悪い?僕が重要な記念日を忘れている…?
ありとあらゆる可能性を考えたが、いかんせん、彼女は滅多に泣かない為、泣きポイントが不明なのだ。

ドラマどころではない。僕はテレビの電源を切ると、諦めて彼女に尋ねることにした。
「どうしたの?僕、何か至らない所があったかな…?それとも悲しい事を思い出した?お腹痛い?…ごめん。考えてみたけど分からなくて…君が泣くなんて一体何があったんだ?」
僕に悪いところがあれば直ぐにでも直すし、辛い事があったなら全力で慰める。体調が悪いならすぐ様病院へ連れて行くし、記念日を忘れていたならすぐにケーキを買ってこよう。

俯く妻に駆け寄り、肩を抱いた。
すると…
「っ…ふ、くっ…く」
肩が大きく揺れているではないか。
「ど、どうしたの!?しんどい!?」
「ち、ちがっ…ぷっ、あはは!」
!?
泣いていると思った彼女は急にお腹を抱えて笑い始めた。
「え!?へ!?泣いてたんじゃ…」
「泣いてないよっ、これ!」
指を挿された方を見ると、そこには微塵切りされた玉ねぎがまな板の上に散らばっていた。

玉ねぎ………だと…

玉ねぎに振り回されていたのか…!?

何ともアホらしいオチだが、同時に胸を撫で下ろした自分もいた。
「心配してくれたの?」
「いや…まあ……うん。」
「ありがとね!」
「うん…」

何とも言えない気持ちを抱え、ソファに戻ると、再びテレビをつけた。

ドラマのエンドロールだけが流れていた。

                       END.

10/10/2024, 3:53:23 PM