あら、機嫌悪そうね。
そう思ったのはガコンという玄関扉の音と、ドタドタといつもより響く足音のせいだった。
しかし実際は違ったようだ。
機嫌が悪いと言うより泣きそうなのを我慢して帰ってきたのだろう。そんな少女ユキを見て、ナツは眉根が寄りそうになるのを堪えながらいつもと変わらない声色を意識して「おかえり」と言った。
少しだけ間が空いて「ただいま」という声は、やはり涙を我慢した時の鼻声だった。
そこから聞いたユキの話はなかなかに厳しい言葉の羅列ばかりだった。
変態のオカマ。
オカマなのに女が好きで、女と付き合ってる変態。
もちろん彼女自身に向けられた言葉ではない。ユキは誰がどう見ても可愛らしい少女だ。
いや、女性と少女の中間とでもいうべきだろうか。
その言葉の標的は恋人であるナツに向けてだった。
それに対してユキは怒っていた。元から少しつり上がっているその目は更にきゅっと上がっている。
しかしそんな彼女から「ぶってやった」という言葉が出てきて、ナツは笑ってしまう。
その笑い声にも不貞腐れたような顔をするが、それすらも一瞬で変えてしまう魔法の言葉があるのだ。
それは“デミグラスソースのオムライス”。
ナツお手製のオムライスは控えめな味付けのケチャップライスに半熟でとろっとした卵が乗せられる。もちろんデミグラスソースも手作りだ。
それがユキは何よりも大好きなのだ。流行りや山の天気がコロコロ変わるように、魔法の言葉が聞こえた途端ユキの表情は少し穏やかになりナツの方を向いている。
そうして買い物へ誘ってしまえばユキの機嫌は元通りだ。
すっかり雲が晴れ、ピンクと濃い紫が目立つ夕方の中を2人で歩く。いつものような会話はなかったが、不思議と居心地の悪さはない。スーパーでオムライスのための材料と水を買って、ついでにデザート用のアイスも買った。
今や導入されている店舗が多くなったセルフレジに並んでいると「あら」とナツが声を上げた。
「エコバッグ忘れてきちゃった。」
「ナツさん、いつも忘れるよね。」
「やだ、物忘れする歳じゃないんだけど。とりあえず袋買うしかないわね。」
「持ってきてるから大丈夫。」
「え、さすがね、あんた。」
レジが開くとナツが手際良く商品のスキャンと袋詰めを進めていく。ユキは邪魔にならないように少し後ろに下がってその様子を眺めていた。
全ての品物をエコバッグに入れて会計を済ませてスーパーを出ると、どちらからともなく手を繋いだ。
5分ほど歩いたところで公園に何人か小学生がいるのが見えた。小学生もナツ達に気がつくと「うげえー!」と叫んだ。
「あいつ知ってる!姉ちゃんが言ってた“ヘンタイオカマ”だ!!」
「あははは!!ヘンタイオカマー!」
その公園にいる小学生が全員バカにしたように笑って、ナツを指差している。当の本人は「あら、有名人は困るわね。」と気にしていない素ぶりをしているが、ユキはそうではなかった。
小学生達を睨みつけると「うるさい、クソガキ!!家の鍵無くしてお母さんに怒られろ!!」と叫んでからナツの手を強めに引き、その場を離れた。
無言で家へ向かうユキをナツは引きずられながら静かに見つめている。その小さな背中は少し震えていた。
「…ねえ、ユキ。」
そう呼びかけてもただ前を向いて、ずんずんと歩みを進める。泣きたい気持ちと怒りたい気持ちでぐちゃぐちゃになっているのが、繋がれている右手から伝わってくる。
「この世って不条理よねえ。」
ユキからは何も言葉は返ってこない。それでもナツは言葉を続けた。
「ちょっと人と違うだけで異物扱いするなんて。まあ、そんなの承知で今のアタシでいることを望んでいるんだけどさ。だからアタシのことをどう言われても別にいいのよ、正直。
アタシの人生に関わらない人間にどう思われても何言われてもいいし。あんたもだけど、アタシも強い女なのよ。
………ただ、ユキを泣かせるのは嫌ね。」
その言葉が引き金となったのか、ユキは足を止める。そして振り返ってナツに抱きつくと少しだけ深めに息を吸った。
「…あのガキども、本当にムカつく。」
「そうねえ。今の子っておませさんだしね。」
「違うよ、あんなの。あれはただのガキ。」
「あんたもなかなか辛辣ね?」
「違う、ただの真実。」
その不機嫌なような不貞腐れたような、ユキが今まさに自分で言っている“ガキ”のような台詞にナツは愛おしさを覚える。
目の前の可愛らしい少女は、こんなにも自分を愛してくれているのだと堪らなくなり胸が熱くなった。
「さ、帰るわよ。こんな嫌な目にあったんだもの。今日くらいは好きなだけ食べても神様が許してくれるでしょ。」
「……デミグラスソース。」
「分かってるわよ、たっぷりでしょ?」
「…アイス、半分こだからね。」
「ええ、もちろん。」
そう答えればユキはまたナツの手を握って、今度は隣に並んだ。
夏が近づく空には、一等星が輝いていた。それはとても小さくて、でも確かに存在している。
まるで隣にいる少女のようだと、また愛おしく感じるのだった。
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シリーズ②
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3/18/2026, 11:16:53 AM