薄墨

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「ドラゴン討伐ぅ?」
予想外の話に、思わず素の口調で聞き返す。
「左様。ドラゴン討伐だ」
目の前の男が、真面目くさった顔で復唱する。
「嘘…?」
「私が嘘を言う人間に見えるか?」
「…」

ええ、とても…と口の中に生じた言葉を、なけなしの理性で飲み下す。
なにしろ、ビジネスの世界を、貧困からその身一つでのし上がってきた大商人なのだ。この目の前にいるヒトは。
機嫌を損なうのは賢くないが、正直にいえば、自分に都合のいい虚言や嘘の一つや二つは容易く吐きそうな人間ではある。

ここは都会のビジネス街。
ビジネスビルが並ぶ一角に、ひっそりと立つ安物のボロビル。そんな古びたビルの四階に、ひっそりとテナントを構えるのが、私の店【タイムロスト】である。

主に時間のトラブルを取り扱う時間専門店だ。

取り扱う仕事と立地の関係上、ここを訪れる人間は少ない。いつもなら、私の仕事はもっぱら、閉店時間まで、近場で腹を満たしながら店番をするか、店内外で暇を潰すことなのだが、今日はこの大口顧客のご来店で、その日常は脆くも崩れ去ってしまった。

眉を顰めて私を眺めていた大商人サマは、乾いたため息を一つ吐き、口を開く。
「…そんなくだらない嘘をついて何の利益があるというのだ、全く。…こうしている今でも貴重な時間が浪費されているというのに…」
どうやら心の裡を読まれていたらしい。

「…疑ってしまい、失礼しました。続きをお話しください」
客は不服そうに鼻を鳴らすと、話し始めた。

…客の相談は、よくあるパターンだった。
余暇の時間が定期的に盗まれているというのだ。
休日が一瞬で過ぎ行き、普段の家での休息もままならないらしい。
だから、盗まれ、失われた時間を取り戻して、ついでに犯人も捕まえたい。そういう、ヒトによくある依頼だ。

…確かに、大金持ちの余暇時間は需要が高い。
なんでもできるという万能感を伴う豊かな時間だからだ。おそらく、誰かの小遣いへと変えられているのだろう。

大商人なだけあって、この客は話している間も隙がない。
それは、相談しているこの時さえも、私の心の裡をピタリと読み取ったところからも分かるだろう……まあ、私が読みやすかっただけかもしれないが。
だからこの時間泥棒も、詐欺などの類ではなく、空き巣やコソ泥の手合いだろう。

…引っかかるのは。
気になっているのは、ドラゴンだ。
どうやら顧客は、時間を盗まれた感覚を覚えた時、視界の端にドラゴンが必ず写るというのだ。
玉虫色に輝く、小さいドラゴンが。

「分かりました。受けましょう」
私は言葉を継ぐ。
「…しかし、上手くいくという保証はできませんよ?ドラゴンが視界に現れるという状況は私は初めて聞きますし、私はドラゴンと戦ってこともございません。…もし上手くいかなかった場合、前金は戻って来ませんのでご了承を」
顧客は神妙に頷く。
「ふむ、正直な返答だな。気に入った。…ちょっとばかり顔が素直なだけで、頭は良いようだね、君は。…よろしい、任せるよ」
「ありがとうございます。では、この紙に…」
私は書類にサインを促す。

顧客が書き終えたところを見計らい、私は顧客の眼を覗き込む。
我も真も強い、力強い眼だ。エネルギーに溢れた、明るい眼。…しかし、虐げられたものが持つ特有の暗い影が奥底にチラついている。
面白い良い眼だ。さて、この瞳から時間を盗めた勇者は一体どんな奴なのか。
私は好奇を含んだ笑顔で、顧客に語りかける。

「それでは、承らせていただきます。…これからしばらく、お客様の失われた時間を取り戻すために尽力を尽くさせていただきます」
「ああ、頼むよ」
「…それでは失礼します」
私は大商人サマの眼に潜り込む。なんだかんだこの方法が、一番効率が良いのだ。…コストを気にする必要はあるが。

自分の輪郭が朧げに感じられる。
…顧客の失われた時間を探すため、私の失われた時間を活用しようではないか。
早く終わると良いな。
そう思いながら、私は店内を見回す。

顧客はハッとしたように首を傾けながら、店を出ていく。
カラン…ヒビの入ったドアベルが、中途半端に鳴り響いた。

5/13/2024, 12:44:44 PM