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愛を叫ぶ。


気づいたら家に帰らずに夜を迎えていた。
家に帰ると怒鳴られて殴られて、なのに私が妹の世話をしないといけないから。
怒鳴られて殴られるのはいつも私なのに、いつも妹が先に声を上げて泣き始めて、私がなだめないといけないから。妹が私から涙まで奪っていくから。
そうして、気がついたら帰れずに夜になっていた。初めてのことだった。

妹は怒鳴られない。妹は殴られない。妹は買い与えられ関心を持たれる。
妹が泣いたら私のせいなんだろうな。
私がいなければ全て解決なんだろうな。
ずっと思っていたけど心の底で諦めきれなかった。理解したくなかった。私が私だから、愛されないなんて。いようとしていることが、いけないことだなんて。

家にいられなくて街を歩いても、私の居場所がどこかにあるわけじゃない。諦めなきゃいけないものの広さ、深さ、それがもうずっと昔から私の手に負えなくて、一つ諦めたら夜の海に飲み込まれそうで。
涙が頬を伝ったと思ったけど、触れてみると泣いてなかった。涙は妹にとられたから。幻肢痛みたいに、とっくに失われた涙の感覚だけが残っている。その涙のあることを証明するすべもなければ、その証明が意味を持つ場所も私にはない。

夜闇が私にとってだけ密度を濃くし、私が進むことも戻ることも拒んでいた。存在すべきでない存在を、空間が互いに押し付け合うみたいに。
通りがかった小さな公園の柱にかけられた時計もまた、闇に身を隠していた。他の人には見えて、時刻を明らかにしているのかな。所詮、仮に2時を指していても私にとっての2時ではないのだろうし、私にとっての2時は他の人にとって意味をなさないのだろう。私は疲れてベンチに座った。夜の公園が、私を邪魔者として認識するのを感じる。でもどこにも私の場所はなくて、動けなかった。

時間の感覚がないまま、ひりつく空間からの拒絶を感じながら、私は座っていた。
どれほど経ったか、人か何かが近づいてくるのを感じた。いつでもすぐに自殺できる準備をするべきだったな、仮にそれが私に許されているのなら。そう、かすかに思う。
ややあって、「ぉっ……」という声が間近から聞こえて、私の全身がこわばった。
妹だ。妹が来ている。言葉になっていないが、うんざりするほど聞いた声でわかる。

しかしどこか様子がおかしい。何かを言おうとして喉に詰まるような発声を繰り返している。
わけもわからず暗闇の中の妹の輪郭を見ていると、妹は泣きはじめて、泣きながら何かを繰り返し言った。書き取るなら「ぉぃぇんんぇ、ぅぅぅ」のような。
意味をなさないまま、次第に声が大きくなる。公園にだけ響き渡る程度の、しかし地をひきずるような不気味な叫び。
その妹の形をした得体の知れない存在が私に近づいて、妹みたいに抱きつこうと手を伸ばしてくる。私は身の毛がよだつ思いがして手を思いっきり振り払って逃げ出した。

妖怪でも、妹でも、どうせ私には同じだったんだから、もう別になんでもよかった。走りながら怒りが湧いてきて、歩き始める。
なんの存在だか知らないけどこんなところまで来て。
なんなら思いっきり突き飛ばしてやればよかった。
だって妖怪でも妹でもどうせ私には同じなんだから。他人でも家族でも。街でも家でも。一時でも二時でも。
何もかもが私のためじゃないんだから。あの子には他にいくらでも味方がいるんだから。


妹はその日から失語症になった。

病院にいる妹と顔を合わせないまま、私は追い出されて親戚の家に送られた。
そこでは殴られない代わりに食事が抜かれた。そういう日は、あの液状の闇の中で何かを叫んでいた、妹の形をした輪郭と二人っきりだったあの夜の公園が否応なく脳裏に蘇った。


あのとき何を言っていたのかな。
言葉が出なくなって、助けを求めてたんだろう。
なんの助けも得られない私に、いつもみたいに助けろと言っていたんだろう。

私の涙を奪った妹から、私は言葉を奪ったのかな。
あの人たちから愛されて、与えられてる分際で、私から涙を奪うからだ。

私は泣いていた。
もう妹と会うことはないだろう。
夜の海に落としたものは二度と見つからないのだから。

5/11/2024, 2:00:54 PM