青年は何が起こっているのか理解が追いつかなかった。
寝ている自分の上を跨った少女が、一枚上着を脱ぎ捨て、さらに襟元をほどこうとしているのだ。
「待っ…何しているの」
「わかんない」
彼女の瞳はゆれていて、とても正気な状態じゃなかった。
いつも底抜けに明るくてこちらまで元気にさせてくれる彼女が、どうして1人で男の部屋に忍び込んで服を脱いているのか…
良く鍛えられた脚はとっくの前に素足を晒していて。
「ふうっ」
と、呼吸を漏らして、また一枚彼女は服を脱ぎ捨てる。
青年は慌てた。
生まれてこの方見たこともない女性の裸体を、自分の手のひらを顔に押し当てて必死に視線を遮った。見ていないという意思表示でもある。
「服っ着て!!な、なんで?!」
「だって…」
細い幼い声がまるで直ぐ側で聞こえてくるようだ。2人の吐息が続く。この部屋の空気は凍りついて止まってしまった。
「私、あなたにたくさん酷い事を言ってしまったわ。お坊ちゃまはいいわねって。それに、助けて貰ったお礼も…私じゃ何もできないから」
いつもはハキハキと小気味よく喋る彼女が、必死に言葉を探していた。
「お礼って…」
お礼を言われるようなことは何もしてない。いや、むしろ彼女の倫理観が分からない。
育ちの違い?環境の違い?そんなわけがない。
とりあえず手近にあった自分の上着を叩きつけるようにして彼女に被らせた。
「お礼なんて、ただのありがとうでいいじゃないか。第一そんな、そんな男って思われてるなら、正直不愉快だし、正気を疑う!」
よそを向きながら手探りで彼女に服を着せる。
職業柄か生まれ持った体格のせいか、ずっと友人たちと比べて小柄だとバカにされる人生だったが、流石に彼女が男のものの服を着ると布地が余った。
「く、臭かったらごめん」
「くさく、ないよ」
彼女の呼吸は震えている。ようやく視界は自由を得た。大きすぎる服の中で、彼女は床をぼんやりと見ていた。もう一度問わなければいけないか。
「なんでこんなこと、したの」
「だって、私には何も、ないから。どうしたら貴方がどこにも行かないでくれるか、考えたらもう…本当に私何もなくて」
「自分を…大切にしなよ…」
確かに自分は明日朝一番で故郷へ帰らなければいけないが。
彼女の頬に涙が一筋落ちた。ぽろぽろと、透明な水滴が男物の服に溢れていく。
青年は、なんて短絡的な…と思ったけれど、ちょうどいい言葉が見つからない。
「私、ずっと姉さんたちが身体を売ったお金で食べてきた。いっぱい働いて病気になって動けなくなるまで…私にはもっと何もないの、どうしたらいいか分からなくて気付いたら…」
青年は、少女の手を取った。冷え切った、小さな手だった。よく見ればあかぎれや切り傷だらけの肌で、普段の安っぽい薄布を巻き付け化粧を施した肌とは雲泥の差だった。
始めて彼女を見た時、可愛いなと思った。
でも同時に、住む世界が違うなとも。
戦時下でなければ絶対に会うことはなかった……。
太陽の下でも酒場の中でも、彼女は、ひたむきに前を向いて皆に笑顔を振りまく花のような少女。
今、嗚咽を抑えている子とは全くの別人のよう。
「僕を、思ってくれたんだね」
それだけは確かだった。混乱しているけど、ゆっくりと状況を理解していく。
「行かないで」
潤んだ瞳が夜の僅かなランプの光をともして揺らめく。
「お願い、お願いよ行かないで一人にしないで」
少女はしくしくと小さな子供のように泣き出した。
取った手は震えている。
まるで幼い頃の自分のようだなと少し思った。大勢に囲まれているのに孤独で、誰にも気に留めてもらえなかった子供時代。
1年後
5/14/2026, 8:14:43 AM