「あの、ね……これ」
怖ず怖ずと差し出された小さな包みに、二足歩行の猫はこてり、と首を傾げた。
不安と期待に揺れる少女の目を横目に、包みを受け取る。爪で器用に包みを解けば、中には薄紅色のペンダントトップが可愛らしいネックレスが入っていた。
「おや。これはもしかして、お嬢さんの手作りのnecklaceかい?」
小さく頷く少女に猫は笑う。不安を濃くする少女の目に、相変わらずだと猫は目を細め見返した。
大方、気に入ってもらえないのではとか、手作りのアクセサリーを嫌がられるのではないかと考えているのだろう。少女と出会い親しくなってからしばらく経つというのに、まだどこか壁がある少女に、猫は密かに嘆息した。
「着けてくれるかい?」
ネックレスを少女に渡し、強請る。背を向ければ、華奢な白い手が、ゆっくりとネックレスを着けていくこそばゆさに、猫は小さく喉を鳴らした。
少女の手が離れていくのを感じ、猫は己の首に付けられたネックレスに視線を落とす。満足げに頷いて、くるりと少女に向き直った。
「どうだい?cute《可愛い》かな?」
小首を傾げ、蠱惑的な眼差しで猫は少女に問いかける。何度も頷く少女は、耳まで真っ赤だった。
素知らぬふりをして、顔を覗き込む。益々赤くなる少女の反応を堪能して、改めて猫は揺れるペンダントトップに視線を向けた。
「――Cherry blossom?桜、かい?」
「う、うん。春だし、ピンク色が可愛いかな、って…ダメ、だった?」
「ダメなどではないさ。ただここの国の人間は本当にcherry blossomが好きなのだな、と思ってね」
薄紅の花を模した飾りに触れ、猫は言う。確かに、と同意する少女が思い描くのは、おそらく花見を楽しむ暖かな光景なのだろう。
「Cherry blossomはlunaに似ているね」
「ルナ?お月様っと桜って、そんなに似ているかな?」
「lunatic…ニンゲンは弱いから、魅入られれば取り込まれてしまうのだろう」
困惑し、目を瞬く少女を促して、猫は近くの木の根元に座らせる。その隣に同じように座ると、猫は静かに語り出した。
桜に恋し、自らも桜になった男の話。
月明かりに束の間の夢を見て、そのまま月と共にいる少年の話。
お伽噺のように、優しく語られていく物語。
桜に恋するがあまり、己の唯一を失った愚かな男。
孤独を埋めるために月の手を取った少年の、残された家族の悲嘆。
愛するが故に、求めるが故に足を踏み外した者達。
語られるその物語の裏側を、少女は知る由もないだろう。
「Cherry blossomとはspecial《特別》なのだろうね。人間や人間でないモノすら魅了する…そう言えば、彼女もその名を持っていたか」
少女に語りかけながら、ふと誰にでもなく呟いて、猫は遠くを見つめた。何かを思い出しているのだろうその眼は、懐かしむように、どこか哀れむように細められる。
「――何か、あったの?」
「昔、さくらという名の娘がいたのさ。彼女ほどそのname《名》にふさわしい者はなかっただろうね」
聞きたいかい、と尋ねられ、少女は少しばかり悩み、小さく頷いた。
「では、語ろうか。Once upon a time――」
昔々、とお決まりの台詞を囁いて、猫は一つの物語を語り出した。
そこは、戦で故郷を焼かれた者達が身を寄せ合って出来た、小さな集落だった。
戦火を逃れ、山奥に作られた集落。それ故に家は貧相で食べるものも少なく、常に貧しく飢えていた。
ある娘がいた。さくら、という名の美しい娘は、かつては神に仕える巫女であった。社を焼け出され、集落へと身を寄せても、仕える神への信仰を忘れず、一人神楽を舞い続けていた。
その日も、娘は神楽を舞っていた。神のために捧げられる神楽。そこに込められた願いに耳を傾け、応えようと目覚めたモノがいた。
――その望みに、応えましょう。
目覚めたばかりの、形すら持たぬモノ。
それでも娘に応えようと、柔らかな風を起こした。
風は山を駆け巡り、眠る草木の目覚めを促す。花が咲き、土の下から新芽が顔を出し始める。
そうして細やかな風は細やかな糧を育んで、娘の皆が飢える事のないようにという望みに応え、形を成した。
その後も風は娘の望みに応え続けた。
枯れない湧き水を。実る果実や植物を。鳥や獣達を。
そうして集落は飢えを凌ぎ、一年が過ぎた頃。集落に住む者は、山の中に小さな社を作り上げた。
社の中の四方の壁に、それぞれ翁の面を掲げ。四季折々に与えられる、山の恵みに感謝した。
始まりとなった春先に感謝の祭を行い、巫女が神楽を舞う。
春が訪れる度繰り返される感謝の想いと祈りは、あの日娘に応え目覚めたモノを四柱の神へと成した。
そして時は流れ。
娘は大人になり、その美しさは集落の男を魅了する。
だが娘は巫女であり、誰かと契るつもりなどはなかった。神に仕える巫女として、在り続けるつもりであった。
それが悲劇の始まりだった。
その夜。何があったのか、知る者はいない。
社の中で倒れ伏し、事切れていた娘。
姿を消した一人の男。
男は終ぞ見つかる事はなかったという。
「――それで、集落はどうなったの?」
眉を下げ尋ねる少女の頭を、猫は優しく撫でながら。
「変わらない。と言いたい所だがね」
ゆるりと首を振り、猫は肩を竦めた。
「もちろん、それからもfeast《祭》は続いた。娘はいなくなったから、代わりを立てて」
続く祭に、しかしいつからか最初の意味が忘れられていく。感謝の想いを忘れ、ただ山の恵みを望む儀式と化して。
娘が想いを捧げ、娘を愛し応え続けてきた神の、その認識が歪み蝕まれていく。
「One day《ある日》、偶然にも誰かにcherry blossomの花びらが降って、sacrifice《犠牲》がつくられた」
「さく、り…?」
首を傾げる少女の頭を撫でて、何でもないと誤魔化して。
猫は言う。桜とは美しいが故に、怖ろしいと。
「――さて、そろそろ戻ろうか。お嬢さん、今日は素敵なpresent《贈り物》をありがとう」
「え、っと。どういたしまして?」
「今度はワタクシが何かを送ろう。この気持ちに見合うだけのbig love《想いのすべて》を込めてね」
誤魔化されたと感じながらも、嬉しそうに笑う猫に、それ以上は何も言えず。小さく息を吐いて、一人で立ち上がった。
手首で微かな音を立てる、二つのブレスレットに視線を落とす。指先で触れながら、ふと気になって少女は小さく呟いた。
「祭は今も続いているのかな?」
「No。もう誰もいないし、続いてもいないさ」
顔を上げて少女は猫を見る。感情の読めない目が少女を映して、閉じ込めるかのようにゆっくりと瞬いた。
「何事にもend《終わり》はあるものだよ…別の形として続いていく事はあるけれどね」
ねえ、お嬢さん。
顔を近づけて、猫は囁く。
「Cherry blossomとlunaには気をつけるんだよ。お嬢さんはとても可愛らしいのだから、見つかってしまえばすぐにでも攫われてしまうだろうからね」
猫の言葉に、頬を軽く染める少女と視線を合わせながら。
桜のネックレスを身につけ、月のように煌めく眼を歪ませながら、猫は笑った。
20250422 『big love!』
※おまけ
「いつも言ってるけど、わたしそんなに可愛くないよ。攫われたりなんてしないから」
「何を言っているんだい。お嬢さんはso cute(とても可愛い)さ。cherry blossomがお嬢さんを知れば、すぐにでも攫って、自分好みに飾るだろう」
手を繋ぐ、帰り道。
猫の言葉に、少女は不思議そうに首を傾げた。
「桜の妖さん?知っているの?」
「あぁ、いや。昔にね」
言葉を濁しつつ、猫は大きく尾を揺らした。
聞いてはいけなかった事だろうか。珍しい猫の反応に、少女は困惑し視線を彷徨わせる。
「greed《貪欲》だった。とても、とてもね」
「--え?」
尾を少女の腰に絡ませて、どこか疲れが滲む声音で猫は囁いた。
少女に擦り寄る。まるでマーキングのような突然の猫の行動に、ひゃぁ、と少女から小さな声が漏れる。
「ワタクシも可愛いものを好むがね、彼は格別だ。dress up《着飾る》だけで満足はしない。見た目だけでなく内側までerosion《侵食》して、自分好みに作り変える…本当にgreedだよ」
耳を伏せ、一つ息を吐いてから、猫は静かに少女から離れ。
「あれだね。同じ可愛いを好きでも、方向性の違いというやつだ…だから、お嬢さん。cherry blossomには気をつけるんだよ」
悪食と言われるほどに食の好みが激しい猫は、真剣な面持ちで少女に忠告した。
4/22/2025, 4:38:00 PM