夜の祝福あれ

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大荘に響く音

夜の帳が降りる頃、古びた山荘に一人の男が戻ってきた。名を佐伯といった。彼は十年ぶりにこの場所を訪れた。かつて家族と過ごした思い出の地。今は誰も住んでいない。

玄関の鍵を開けると、木造の床がきしむ音が静寂を破った。懐かしい匂いが鼻をつく。埃と湿気、そして微かに残る薪の香り。

佐伯はリビングのソファに腰を下ろし、静かに目を閉じた。すると、遠くから「コツ、コツ」と足音が聞こえた気がした。風の音か、木々のざわめきか。いや、それは確かに人の足音だった。

彼は立ち上がり、窓の外を見た。誰もいない。だが、足音は少しずつ近づいてくるように感じた。

十年前の冬、妹の美咲がこの山荘で姿を消した。警察も捜索隊も手がかりを見つけられなかった。佐伯はその日以来、罪悪感と後悔を抱えて生きてきた。

「兄さん、待ってて」と言った美咲の声が、今も耳に残っている。

足音は止まった。玄関の前だ。

佐伯はゆっくりと扉に近づき、手を伸ばした。ノブに触れると、冷たい感触が指先に伝わる。深呼吸をして、扉を開けた。

そこには、誰もいなかった。

だが、足元には小さな足跡が残っていた。雪もないのに、濡れたような跡が玄関から奥へと続いている。

佐伯はその跡を追った。足音は、彼の心の奥に眠っていた記憶を呼び起こす。遠い足音は、過去からの呼び声だった。

そして彼は、山荘の奥の部屋で、古びた日記帳を見つけた。美咲のものだった。

「兄さんへ。私はここにいるよ。」

佐伯は涙を流しながら、ページをめくった。遠い足音は、彼を導くために響いていたのだ。

お題♯遠い足音

10/2/2025, 3:04:49 PM