[お題:あの頃不安だった私へ]
[タイトル:調律師は不協和音を鳴らさない]
「『なんか入院する事になったけど、カルアのあれは関係ないっぽいから安心してね』って、逆に安心出来ないんですけど」
スマホに届いたラインメッセージにそんな反応をしながら、しかし柊華流愛はホッと胸を撫で下ろした。
「あぁ、でも、そっかぁ、ウチのせいじゃなかったかぁ」
クラスメイトが入院したというのに、その反応は薄情で自分本位に見えるだろうか。しかし華流愛にしてみればそれは死活問題だった。
「『そうなんだ!』『入院大変だね』『お大事に!』」
ポンポンポンと、メッセージを送る。差し障りがないよう、最低限の短文を三つ。
夜の十一時にはまだ起きているようで、数秒後には知らないアイドルの横に『ありがとう』の文字があるスタンプが返ってきた。それに既読をつけてから、スマホをベッドに投げ捨てた。
「あー、でも、これあの娘たちにも送ってるよね・・・・・・?」
きっと送っているはずだ。邦城舞華はそういう人間だと華流愛は十分知っている。当事者であるとはいえ、三軍の自分へわざわざラインをした事がその証だ。
送っているからなんなんだ。どうせ何も解決しないだろう。一瞬、弛緩した感情がグイと引き締められる。自室という絶対的なプライベートの中で湧き上がった緊張感は、吐きそうなほど気持ち悪い。
「あーもう、まじでなんであんな事・・・・・・」
愚痴と共に自分の太腿を殴りつける。けれどアザが出来ないように慎重に。
それが起きたのはつい昨日のこと。体育の授業で行われたドッジボールで、華流愛の投げたボールが舞華の胸に当たったのだ。とはいえ、それはルールの範囲でのこと。当時の華流愛も、当たった瞬間はむしろ喜んでいた。舞華がそのまま倒れてしまうまでは。
『舞華ぁ! ねぇ、舞華!』
彼女の親友である冴島景の叫びが脳裏に貼り付いている。無理矢理引き剥がそうすると血が出てしまいそうなほど強烈に、鮮烈に。そして何よりキツイのは、その後の一軍女子たちの、あの目。
「っ、あぁ」
思い出しただけでも呻いてしまう。
まだ何かされた訳じゃないのに。
おかしな話だと自分自身思いながら、それでも恐怖は消えない。それほどに、スクールカーストの絶対制は華流愛の奥底に刻まれていた。
カーストというものはどこにだって存在するものだと華流愛は思う。その中でも、子供のくせに大人振りたいヤツが大勢いる高校生のスクールカーストが一番グロテスクだ。
知らぬ間に出来上がったこの階級は、しかし一生を決めるのに十分な火力を持つ。多感な時期に作り上げた自分の立ち位置に、信仰のように縋ってしまうからだ。
その意味で言えば、舞華の立ち位置は少し特殊だ。彼女は自分の立ち位置に固執している節は決して無かったが、それでもその振る舞いはカースト最上位そのものだった。文化祭の実行委員としてクラスの出し物を決め、部活じゃ一年生からバスケットボール部のスタメンに入っていた。端正な顔立ちはモデルのようにシュッとしていて、正直、羨ましい。もし生きるている時代が貴族社会の最盛であれば、壁の花になんて一秒たりともなりはしないだろう。
けれどそんな彼女が何より秀でていたのは、人の心を読む力だ。
変化に目敏く、心の機微を捉えるのが上手いのだ。無理をしている人には寄り添い、苛立っている人には少し距離を置いた。時間で解決するものと、そうでないものとを即座に判断できる力が彼女にはあった。
例えば、先ほどのメッセージで華流愛に『安心してね』と言ったように。舞華自身は、あの一軍女子の目線を見ていないにも関わらずだ。
そんな風な事を自然にできるのが彼女の特異性だった。舞華のアドバイスなら、きっと正しい。そう思わせるだけの信頼と実績を一年生の終盤には既に盤石なものとしていた。
逆に言えば、舞華はそれなりにクラスを動かせる立場にいたということだ。それはまるで、ピアノがどんな音を奏でるのかを決める調律師だ。自分がどんな音なのかは、自分ではなく、舞華が決める。舞華の、舞華による、舞華のためのクラス。そこから生まれたカースト制度は、心地の良い地獄だった。
あのメガネでオタクの男子は引っ込み事案だから三軍がいいだろうと、舞華は思う。するとその男子は本当に三軍になるし、そこで満足する。目立ちたがりのあのギャルっぽい女子は一軍かなと、舞華は思う。するとその女子は一軍に居て、いつも楽しそうに笑っている。
じゃあ、華流愛は? どんなところを三軍に相応しいと評価されたのか?
華流愛自身はこれっぽちも分からない。一つ言えることは、中学では三軍にいて、そこから高校デビューで一軍を目指していたという事だ。
三軍らしいその精神性を見抜かれていたのだろうか。けれど、どうだろうか。同じ三軍女子として楽しく過ごす彼女らに対して「私は違う」と思っている方が、ずっと醜いのではないか。華流愛は思う。きっとそんな風だから三軍なんだなと。
つまり、舞華にはカリスマ性があるのだ。絶対的な権力者の称号が、彼女には付いている。
その舞華を病院送りにした叛逆者こそが、柊華流愛だ。
舞華曰く、違うらしいが、あの体育の時点では間違いなくそうだった。
憂鬱に眩暈を覚える。頭痛もする。
「あー、もう、まじで学校行きたくないよぉ。もぉー・・・・・・」
舞華によって選ばれた一軍女子がどう思うのかは想像に難くない。たとえ舞華が華流愛に送ったものと同じようなメッセージを全員に送ったとして、それで彼女らが止まるとは思えない。何故なら、舞華は気遣いが出来る人だから。それもきっとただの気遣いだと思われる。むしろ傷つけた上に気遣いまでさせたと、怒りを増幅させるだけだ。
それも舞華自身があの教室に居れば変わるだろう。いつも通りの平凡さを取り戻せるはずだ。
けれど舞華はいない。彼女は入院する事になっている。調律師がいなければ、ピアノは不協和音を轟かす。
「・・・・・・うあぁー!!」
枕に顔を埋めて発狂する。どうせ大丈夫だと言い聞かせて、もう寝てしまおうと思っても、寝れない。そのうち、幻聴まで聞こえてくる。
『お前のせいだ』
景の声だ。ハツラツとした、突き刺すような声。
『お前のせいで舞華が死んだんだ』
違う。違うと否定したいのに、一向に自分の声は聞こえてこない。
あぁ、そうだ、と華流愛は思う。どうして気づかなかったのだろう。舞華は気遣いの人だ。あのメッセージが、華流愛のせいでないというその言葉が、ただの気遣いの可能性もあるじゃないか。
幻想の景が責め立てる。
『お前が舞華を奪ったんだ。お前が舞華を殺したんだ』
気づけば朝になっていた。全身汗だくで、心臓の鼓動がうるさくて仕方がない。相変わらず頭痛もする。
「おーい、華流愛ー? 早く起きて、って、アンタ大丈夫?」
「・・・・・・えっ?」
部屋に入ってきたのは母親だ。母は驚いたような表情を見せて華流愛に駆け寄った。
「ちょっと熱あるんじゃない?」
されるがままで熱を測ると、三八・〇度。
「仕方ないわね。学校休んで、病院行くわよ」
それを聞いた華流愛の表情は、少しだけ良くなった。
夕方に差し掛かった頃には、随分と熱は引いていた。病院で貰った解熱剤が効いているのだろうか。ここまで来ると、逆に罪悪感が湧き上がっている。皆んなが勉強している中で、自分だけ寝ているこの状況がどこかこそばゆい。
病院に行くことにも最初は抵抗があった。もし舞華と会ったらどうしようかと。もちろん、華流愛は外来なので会うことは無いはずだと、分かってはいたのだけれど。
すると突然、ピンポーン、とチャイムが鳴った。配達だろうか。母親は華流愛を病院に連れて行った後、すぐに出勤してしまったため、華流愛が出るしかない。
そうして、特に考えずに出たことが間違いだった。そこに立つ人を見た瞬間、心臓が激しく悲鳴を上げる。
「あれ、まぁちょっと元気そうじゃん。これ、プリント」
相変わらずのハツラツとした声をした、冴島景がそこにいた。
「えと、あっ、ありがとう」
少し吃りながら華流愛はプリントの入った茶封筒を受け取る。
「大事なのあるっぽいから、ちゃんと親に渡しなさいよ」
景は真っ直ぐな瞳で華流愛を見据えている。
舞華を中心に添えたカースト制度の中で、景の立ち位置は唯一無二だ。なにせ舞華が唯一無二なのだから、その親友である景も必然的にそうなる。舞華のいないあのクラスで、新たに船頭になれるとしたら、それはきっと景だけだ。
だから華流愛にしてみれば、これはチャンスだった。あのクラスにおける華流愛への悪感情の多寡を測るのに、これほど適切な人物は他にいない。
もう、こんな風に高熱を出して学校を休みたくはない。
「じゃ、もう帰るから。お大事に」
「ま、待って!」
「何?」
「あのさ。景ちゃんは、舞華ちゃんから何か聞いてない? 昨日、ウチにこんなメッセージ来てて」
華流愛はそう言ってラインの画面を見せた。
「『なんか入院する事になったけど、カルアのあれは関係ないっぽいから安心してね』? これがどうしたの」
「いや、さ。関係ないって、じゃあ何だったんだろうって思って」
「そんなの本人に聞けば。ライン持ってるんだし」
「でも、ほら、聞きにくいじゃん。ウチのせいかもしれないし」
「・・・・・・はぁ、いい性格してるね。ほんと」
そして景は気怠そうにしながら口を開いた。
「舞華は心臓の病気。まだ検査中で色々可能性探ってる途中だけど、最悪、一年で死ぬらしいよ?」
「えっ」
それしか言葉が出てこなかった。いちねんでしぬ。一年で死ぬ? 舞華が?
「まって、えっ、それ本当?」
「嘘つく意味ある? 言っとくけど、病気で心臓が弱ってたからって理由はあるにせよ、倒れた直接の原因はアンタのボールだから」
「っ、いや、あの──」
景は続きを聞かずに足早に駆けていった。顔も見たくないと、嫌悪の表情を浮かべながら。
数時間後、家のリビングで呆然と座り込む華流愛の元へ母親が帰宅した。
「ただいま」
「・・・・・・あっ、おかえりママ。これ、プリント」
母はプリントを受け取ると、中身を確認しながら華流愛に言った。
「結構顔色は良くなったわね。これなら明日から学校行けそうからしら」
それを聞いた華流愛はビクッと肩を振るわせた。
「いやだ」
「え?」
「いやだ、行きたくない。ねぇ、お願いママ。ウチ、学校行きたくないよぉ」
それ以降の問答を華流愛はよく覚えていない。とにかく「行きたくない」だけをひたすら繰り返していたと思う。途中で帰宅した父も交えて行われた家族会議は〇時を回っても続いた。
果たして、次の朝、華流愛は学校には行かなかった。次の日も、その次の日も。三ヶ月ほど経って、華流愛は通信制の高校に転校した。
そして月日は流れる。カーストから離れた華流愛の精神は、程よく安定した。今や、華流愛も大学生だ。大学デビューで派手なことはしなかった。メイク道具が増えたくらいだ。それでも身の丈にあった、控えめなメイクだ。
「家庭教師か・・・・・・」
そんな華流愛の差し当たっての問題は、バイト先を決めることだ。これは高校時代に、勝手を許してくれた両親への恩返しの意味が大きい。服やメイク道具やその他諸々、自分のことは自分で責任を持ちたい。
そして華流愛が目をつけたのが家庭教師だ。個人による、一対一の関係。居酒屋とか、カラオケとかも考えたが、そこにはやはり複雑な人間関係が見え隠れする。人が集まると、どうしてもそこにカーストを見てしまいそうになるのだ。
「うん、家庭教師だな」
一コマ、九〇分。時給は一八〇〇円から二六〇〇円。相場をよく知らない華流愛は、とりあえず始めてみることにした。
大学二年性の頃、家庭教師のバイトを続け、それなりの経験と評判を積んでいた。
そんなある日、新たに生徒が決まった。女子高校生らしく、学校に行っていない分、基礎を一通りやり直したいとのことだ。
名前は『邦城舞華』
「冗談でしょ」
そんな訳がない。どんな確率だよ。きっと同姓同名の別人だ。そんな願望は授業初日に打ち砕かれた。
「久しぶり」
「何のことですか、邦城さん」
「その伊達メガネ、変装のつもりなら笑っちゃうからやめて」
そして舞華は楽しそうに笑う。
「華流愛だから、指名したんだよ」
その言葉に華流愛の中の何かが疼く。舞華に選ばれた、光栄だ、なんて。調律師の美しい手解きを思い出してしまう。
やっぱり、カーストは消えない。一生、永遠に。
「・・・・・・分かったよ、舞華ちゃん。久しぶり」
そう言って、華流愛は伊達メガネを外した。
「うん、久しぶり」
舞華は改めてそう言った。その顔は穏やかで、とても死にかけてたようには思えない。
舞華の部屋は引っ越したばかりなのか、段ボールが多い。その分、埃も少ないので有難い。家によってはハウスダストがどうしてもキツイのだ。
「初日は勉強よりも、信頼を築くために色々と話したりするんだけど、いる?」
「いるでしょ、そりゃ」
舞華は即答した。相変わらず、舞華は人の心を読むのが上手い。話を聞きたいのは華流愛の方だった。
「じゃあ、私から質問しても良いかな?」
「いいよ。ていうか、一人称それだっけ?」
「・・・・・・あのさ、心臓大丈夫なの?」
「あー、初手それかぁ」
舞華は困ったように頬を掻いた。
「うーん、なんて言うか、勝手に治った、的な? お医者さんもよく分かんないらしいんだよね」
「そうなんだ・・・・・・」
不思議なこともあるもんだねぇ、と舞華は唸る。
対して華流愛が思うのは。そうだろうな、だ。あの舞華なら病気くらい自分で治せる。そんな風に思えてしまうのだ。
「じゃあ、景ちゃんとは・・・・・・」
「景? あぁ、景はまぁ、愛想尽かされちゃって。病院生活のうちにアイドルハマっちゃってさぁ」
「アイドル? へー」
それを聞いて思い出したのは、舞華が使っていたスタンプだ。名前は何だったか、後で確認してみよう。
「じゃあ、その、どうして私を選んだの?」
「え、だって華流愛はさ、ずっと勉強してたじゃん。絶対頭良いって思ってたから」
それを聞いて納得する。やっぱり舞華は、きちんと見ていてくれてたんだなと。
それこそが華流愛が三軍にいた理由だった。スクールカーストにおける三軍とは大抵、オタク、運動音痴、変わり者。そしてガリ勉。
「まだ私があの高校行ってた時ってさ、ちょうど大学受験がどうのって言ってた時期だったじゃん。受験は高ニの夏からって。だから、そっとしとこうって言ってたんだけどね。いやー、やっぱあそこじゃ集中できなかったかぁ」
舞華が言っているのは、きっと転校のことだ。けれど、本当はそんな理由じゃない。本当は舞華を苦しめて、その報復が怖かっただけだ。逃げただけだ。
もちろん、そんなこと舞華は知ってるに決まってる。知っていて、そうでない理由を与えてくれた。
与えられた手を取って、華流愛は引かれるままに歩き出す。
「うん。おかげで国立だよ」
舞華はそれに笑顔で返す。
「だから、私も国立行けるようにお願いね。柊せんせ」
舞華が目指すのは、華流愛と同じ大学だった。うまくいけば、一年くらいは一緒に登校出来るかもしれない。舞華の隣に景はいない。舞華の隣は空いている。
だから大丈夫だ。不安に押しつぶされそうな高校生の柊華流愛へ、その道は間違っていない。舞華の調律ほどに美しい音色は他に無い。
舞華の隣で、不協和音は鳴らない。
5/24/2023, 6:47:11 PM