22時17分

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「重症ですね。『未来の記憶』を処方しましょう」
突然精神科医がそんな事を言ったので、患者は「えっ」と当惑した。
「どういう意味ですか?」
「この箱を持ってみてください」
精神科医は、デスクの引き出しから取り出し、空っぽの箱を渡した。スーパーでよく見かけるタイプのお菓子の箱だ。
患者は受け取った。「はい……何か?」
「何か感じ取れますか」
あまり医師の言う意図が分からないまま、患者はその箱を観察することにした。
箱の中身を確認し、何もないことを確認した。カサカサと振る。音はしない。
鼻に近づけると、かすかに甘い香りが感じ取れた。

「チョコレートのような匂いがします」
「そうですね。実際、その箱にはチョコレートが入っていました」
「はい」
「けれど、今は空です」
「ええ」
「では、チョコレートは一体どこから来たと思いますか?」
「どこからって、工場から、ではないんですか?」
「確かに工場から出荷されたと思います。しかし、現在か未来か、と問われると、それはどちらなのか分からないままなのです」
「言っている意味が未だによく分かりません……」
「マジックアイテムのようなものです。ほら、こうして……」
医師は、ペチンッと。空箱を叩いた。
その後、医師の手によって、箱を検める。手には何かが摘まれていた。チョコレートである。

「うわあ……どこから来たんですかこれ」
「未来からです。私が合図を送り、注文したのです」
「注文?」
「未来からです。未来に注文して、この箱に、届けられたんです。だから、」
医師は、ペチンッと。患者の頭を叩いた。突然のタッチだったので、患者の身体はビクッと微動した。
「こうしてやると、あなたに『未来の記憶』が処方されました。分かりますか。念じてみると、ほら……」
「……分かります! 分かります!」
患者はじっとできない子どものように、診察室で元気を取り戻した。
「空を見上げれば星が瞬き、夜になれば月が浮かび。ペンを持てば自分の名前が書け、足を動かせば歩ける! まるで別世界のようです!」
「そうです。その記憶を頼りに、今後も生きてください」
「ありがとうございます! まさにゴッドハンド! バンザイ、春原先生! さようなら先生!」

患者は踵を返し立ち去った。
その後、ゴッドハンドの精神科医はクリニックを畳んでどこかへ行方をくらました。
患者はそれをよしとしない。
頭に埋め込まれた未来の記憶が、自身の「死」の印象を見せ始めたのだ。

気がつけば目の前に霧が垂れ込めていた。
ちょうどよい。患者は白い霧にのまれ、消えようとした。
患者は未来の記憶を頼りに命を落とした。
数年前から身体は溶け、樹海で首を吊る。
それでも未来の記憶は無くならない。
精神だけは尋常に持ち続けた。未来の記憶はずっとそのままだった。一体これは誰の記憶だろう? 誰の記憶を埋め込まれたのだろう。誰の記憶に騙されたのだろう。
誰の……、誰の……、

そう幾度と考えていると、どこからが声がする。
「重症ですね、『過去の記憶』を処方しましょう」

患者がこんな結末になったのは、現在の記憶が無かったからである。現在の記憶が未来の記憶に上書きされて、草木が枯れるほどの時間没したのちに過去の記憶に上書きされる。
患者はずっと未来か過去に生きており、現在にいない。
だからこうやって、現実から迫害を受けてきて、夢に棲むものの声を頼りに暮らさざるを得ないのである。
精神科医の声は、いつまでも夢の中から聞こえる。

※世にも奇妙な、しっくりこないストーリー…。

2/13/2025, 9:28:39 AM