ようこそ、いらっしゃいませ。
お好きな席へどうぞ。
当店のご利用は初めてですか?
そうですか。
数あるお店の中、
十六夜を選んで下さりありがとうございます。
当店は月夜に開くバーでございます。
少々薄暗くしてありますのは
日々の眩しすぎる明かりから離れ
薄暗がりに包まれながら
ゆっくりとした時間を過ごして欲しいという
願いからでございます。
ご理解ご了承いただければ幸甚に存じます。
メニューでございますが
日々のお疲れを癒やすべく
様々なカクテルをご用意しております。
本日のオススメは
【晩秋の終わり】
吹き荒ぶ風に枯れ葉が舞い
カラカラと吹き溜まりへと集い
月日に朽ち大地へと還る
そんな一連の秋の終わりを感じさせる
色なき風の香りを味わうことが出来る
カクテルでございます。
ご興味がありますか?
ありがとうございます。
では、早速作ってまいりましょう。
まず、冬の呼び水を少々
次いで、人々の哀愁を注ぎ
夜長の月影も多分に落とし込みます。
美味しくなれと願いを込め
シェーカーをカラカラと振りますれば
全ての要素が複雑に絡み合い
筆舌尽くしがたき壮大なハーモニーを奏でるのです。
さて、今日はショットではなく
カクテルグラスを使用しましょうか。
秋の美しい金色の夕日を宿したかのような
水色も是非ご堪能下さい。
一方的に喋り続けるマスターに流されるまま
カクテルを手に取る。
ユラユラと黄金色が揺れ、キラキラと輝く。
恐る恐る一口飲むと燻製のような香りが鼻を抜けた。
驚きで目を張ると、目の前で枯れ葉が、カラカラと音を立て、道端で風の旅を終えた。
霜が降り葉を白く染め、次いで上った朝日にその身を乾かす。それを幾度も繰り返すうちに葉は退色し、形も失われていった。
空を見上げれば、
枯れ枝の先に夕日が落ちていく。
哀愁をそそる景色に見惚れていると
手に持っていたカクテルはいつの間にか無くなっていた。
ハッと辺りを見渡すと、バーのマスターも十六夜という店内も忽然と姿を消している。
私は、いつ潰れたかも知れないシャッターの降りたバーの前で佇んでいた。
閉店してから長い年月放置されていたのだろう。
シャッターは錆付き、看板は取られ、かつての店の名前を知るすべはない。
あの光景はかつての在りし日のバーの姿だったのだろうか。
建築物も過去の光景を懐かしみ偲ぶのだろうか。
─あのカクテル、もう少し呑みたかったな。
私はかつてバーだった店を背に、
明かりの灯り始めた街へ向かった。
11/4/2023, 11:47:35 AM