しぎい

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無機質な女の声が、俺の意識を呼び起こした。

「そろそろ起きてください」

聞き慣れた声が俺を呼んでいる。呼ばれるように目を開いた。
声の主は、この高校の養護担当の教諭だった。そこそこの美人だが年齢不詳で、たまに深い闇の色を垣間見せる。個人的には苦手な先生だが、あちらはそうでもないらしい。

「次の授業が始まるので教えただけです。寝ていたいなら、そのまま寝ていていいです」

この異色の先生は、なぜか俺にだけ優しい。俺をエコ贔屓しているのだ。

先生は本来、生徒の保健室の利用に難色を示した。仮病目的の利用は特に厳しく禁じている。
軽薄な生徒を病的に嫌っていると言ってもいい。そんなに潔癖な性質で、よくもまあ高校の養護教諭なんか勤まるもんだと思う。

俺もその軽薄で最低な生徒の一人だ。愛人の子という事実が教師や生徒に知れ渡り、教室にいるのが耐え難くなった。本妻の子がいる自宅では心休まらず、保健室しか逃げ場がない。

先生はいかにもな理由で保健室を訪ねても、笑って迎え入れてくれる。マンモス校なので千人近くいる生徒の中、ただ一人俺だけ。
それが俺には不満だった。
俺は寝起きの回っていない頭で、聡明な先生に尋ねた。

「なんで俺にだけ優しいんですか」

俺の声には、責める色が入り混じっていた。先生は間仕切りのカーテンを開け放したまま、突っ立っている。

「先生と俺がデキてるとか言う奴らもいるんですよ」

やっと先生が小馬鹿にしたように笑う。望んでいない親密さによって、すっかり見慣れた表情だ。

「言わせておけばいいんですよ。私はいっこうに困りません」
「困るんですよ、俺が。ただでさえ教室にいづらいのに」
「じゃあ卒業までずっとここにいますか」
「あのな……」

先生は飄々と交わし続ける。これではらちがあかない。

「……俺の家と、何か関係ありますか」

先生がつまらなさそうに間仕切りのカーテンを泳がせていた手をぴたりと止めた。黒い目がゆっくりと俺を射止める。

「あなたの家とは何も関係ありません。興味もないですね」
「じゃああんたが俺なんかに執着する理由はなんだ。金目的なら、弟に擦り寄ったほうが手っ取り早いぞ」
「らちがあきませんね」

どっちが。
そう言いたいのをぐっとこらえた。

先生はネイルも何も施されていない、洒落っ気のない爪を唇に当てていた。考えて、何かを口に出す前の癖だ。

短い爪がやけに目につく。綺麗に整えられている。

ふと先生は窓辺に赴くと、青無地の遮光カーテンを閉めた。部屋の中が一気に薄暗くなる。突然の薄闇によって目がびっくりさせられて、一瞬先生の居場所が分からなくなった。

「そうですね。じゃあはっきり言いますけど、前世って信じますか」

あらぬ方向から飛んできたのは、俺が知っている先生からは縁遠いメルヘンチックな言葉。

首をひねると、凄みがある微笑みを浮かべている先生がいた。加えて俺を見る先生の目つきは、尋常じゃないほど鬼気迫っている。

彼女の深い闇が垣間見えた。そして思った。この女、やっぱりおかしいと。



1/25/2025, 4:14:31 PM