きらきらと、煌めく街並みを見下ろしながら、手にした缶コーヒーに口をつける。
「苦っ……」
缶に視線を向ければ、無糖の文字。あまり深く考えずに買ってしまったことを少しばかり後悔する。
今日は朝からついていない。朝食の少し焦げたパン。目の前で赤に切り替わる信号。無糖の缶コーヒー。
そして、待ちぼうけ。
小さく溜息を吐く。街の灯りはこんなにも煌びやかだというのに、気分は重く沈んでいる。
連絡はない。自分から連絡してみるべきかとも思うが、何となくそれも億劫だった。
「まぁ、イルミネーションは綺麗だしな」
自身に言い聞かせるように呟いて、街の灯りを見下ろした。
「お兄さん」
声をかけられて、肩が揺れる。
気づけば、街の灯りは暗く沈んでいる。停電ではない。灯りが点いていても、妙に暗いのだ。
「お兄さん」
もう一度呼ばれ、ゆっくりと振り返った。
そこには、兎のぬいぐるみを抱きかかえた少女が立っていた。
少女以外の人影はない。この高台の付近には民家もなく、幼さの残る少女が一人きりでいることに眉を寄せた。
「あのさ……」
「お兄さんは、迷子なの?」
言葉を遮るように問われ、目を瞬く。
迷子。一呼吸遅れてその意味を理解し、小さく溜息を吐いた。
「迷子じゃない。待ち合わせをしてんの」
「ここで?」
小首を傾げ、少女は目を瞬く。心底不思議そうな表情に、じわりと不安が込み上げてくるのを感じた。
思わず少女から視線を逸らし、街の灯りを見下ろした。
少し前まで煌めいていたはずの街並みの陰りに、今更ながらに異様さを感じ始めた。
もう一度、少女に視線を向ける。ぬいぐるみの無機質な目が揺らいだように見えて、口元が引き攣った。
「あの、さ。もしかして、ここって……」
予想が外れてほしいと願いながら、それが正しいのだと理解し始めている。それでもほんの僅かな希望に縋り少女に問いかければ、腕の中のぬいぐるみの頭が肯定するように傾いだ。
「裏側の世界だよ」
裏側とはつまり、人ならざるモノの領域のことだろう。
肩を落とし、項垂れる。またか、と心の中で呟いて、溜息を吐いた。
「お兄さん。何度かこっちに来てるでしょ?さっきも、ずっとぼんやりしてたものね」
少女の声に憐みが混じっているような気がして居たたまれない。
確かに少女の言う通り、気づけばこうして不思議な世界に足を踏み入れていることがあった。何度も経験している内に、最初の頃のように取り乱すこともなくなった。
嫌な慣れ方に危機感を覚え、次こそはと気を張るものの、今のところ効果はない。自分でも気づかない間に起こる現象に、最早諦めてしまった方がいいのではとも思い始めている。
「お兄さん」
少女が呼ぶ。それに何も言わずに視線だけを向ければ、少女はぬいぐるみの手を持ち軽く手招いた。
「元に戻るならこっち。着いてきて」
そう言われ、おとなしく少女の後に続いて歩き出す。
木々の間を抜け、小さな鳥居の前で足を止めた。
「この先が、表側に通じているよ。次からは気をつけてね」
「あ、はい……」
頷きはするものの、それは無理な話だろうと内心で諦めている。何をしても無駄だった過去が、気をつけるという行為すら億劫にさせていた。
「優しすぎるのは、あんまり良くないんだよ」
「え?」
「優しいと、縋りたくなるの。だから手を引かれて迷子になっちゃうから、気をつけて」
言っている意味が、よく分からない。
誰かに優しくした記憶はなく、手を引かれた覚えもなかった。
「待ち合わせをしながら、ずっと心のどこかで考えていたでしょう?例えば、焦げたパンも美味しかった。信号が赤になったから、少し落ち着くことができた。苦いコーヒーは大人になった気分にさせてくれた」
一つ一つあげられていく出来事に、頬が熱を持ち出した。
誰にも言っていなかった。そもそもさっき出会ったばかりの少女には分かりようのないことだ。それなのに、と羞恥に叫びたくなる気持ちを、必死に堪える。
「今も恐いって思うより、恥ずかしいって感じてる。悪戯する側としては張り合いがなくてつまらないけど、全部受け止める優しさは、皆大好きなんだよ」
「えっと、それって……」
「ほら、早く行って。これ以上変なことを考えないで」
少女が鳥居へ指を差せば、風が強く背を押した。その強さに耐えられず、転がるようにして体が鳥居を潜りぬけた。
「裏側でも、煌めく街並みが見れたらいいなんて、変なこと考えてないで。私たちには、あれくらいが丁度良いの。それに見たくなったら見にいけるんだから」
呆れた声がして、風が自分の周りで渦を巻き始めた。
くすくすと、複数の笑い声。風に翻弄されながらも、少女の方へと振り返り――。
「おまたせっ!」
聞こえた待ち人の声に、世界がぐるりと回った気がした。
「ちょっと、大丈夫?」
いつの間にか閉じていた目を開ける。
視界に広がるのは、きらきらと煌めく街の灯り。
振り返れば、待ち人が心配そうに眉を寄せていた。
「体調悪いの?なら、今日はもう帰ろうか」
「あ、いや。別に悪くはないけど」
悪くはないはずだ。不思議に思いながら、何気なく手元に視線を落とす。
「あれ?」
「どうしたの?」
何も言えずに首を振る。
暖かな缶コーヒー。けれども口をつけたはずの缶は、まだ未開封だった。印字されていた無糖の文字も、どこにも見えない。
ふと、缶を持つ手に冷たい白が降りた。忽ちに溶けてしまった白に驚き、空を見上げる。
「あ、雪」
「本当だ。道理で寒いわけだね」
次々と振る雪を追って視線を下げる。煌めく街に白が舞い、幻想的な光景を作り出していた。
風に乗って、微かに笑い声がした。鈴の音と共に歌声が聞こえてくる。
「何か面白いことあった?」
「え、なんで?」
「だって笑ってるよ」
指摘されて自分が笑っていたことに気づく。
「冬だから、かな?」
呟いて、手の中の缶コーヒーの蓋を開けた。
一口飲めば、ミルクが多めの甘いコーヒーの味の喉を通り過ぎる。ほぅ、と息を吐いて、煌めく街並みを見下ろした。
「意味分かんない」
「うん。俺も分かんない」
そう言って笑う。
甘いコーヒーに、煌びやかな街の灯り。そして深々と降る雪。
今日はとても良い日だったと、どこか浮かれた気持ちでそう思った。
20251205 『きらめく街並み』
12/7/2025, 9:07:45 AM