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昔からその言葉を口にするのが苦手だった。
だから、兄弟喧嘩をした日は、弟のお茶碗に、いつもより少し多めにご飯をもってあげたり、彼の好きなおかずを一品分けてあげるのが、精一杯の降伏の合図だった。

大人になってからも、その言葉はどうにも苦手だった。
ヘラヘラしながら"スミマセン"は言えるのだ。本心からの、その言葉を口にするのは、どうにも難しかった。


一人、電気も点けずに静かな部屋に佇む。
祖父がいなくなり、祖母がいなくなり、父がいなくなり、そして弟が出ていった。保育園の頃からの友達は皆、就職や進学やお嫁入りを期に地元から居なくなった。

足許には、たくさんの思い出が転がっている。

何処にも行けない、拗ねた私の足許に、目を凝らせばたくさん落ちているのだった。

『あの時はごめんね』が。

5/29/2024, 2:38:44 PM