いろ

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【空模様】

 午前中まで晴れていた東の空に、どんよりと真っ黒い雲が浮かんでいる。それを窓の外に見てとった瞬間、私は荷物をまとめて講義開始直前の教室を飛び出した。どうせ次の講義は出席確認もない。期末試験で点数さえ取れれば単位はつくから、どうにでもなるだろう。
 走って向かう先は、大学のキャンパスの東に位置する巨大な森。その中枢にはそれなりに大きな古い社が建っている。信仰心など薄れた現代にしては珍しく、毎年の祭祀の時期には大勢の人が訪れるとかで、それなりに手入れはされている朱塗りの鳥居を躊躇なくくぐった。
 平日のこんな時間だ。境内に人気は全くない。ぽつりと空からこぼれ落ち始めた雨に、折り畳み傘をバチンと開いた。
「今日はどうしたの?」
 境内の片隅、御神木の影。そうと思って見ないと見落としてしまいそうに小さな子供へと、傘を差し出しながら問いかけた。水干姿の童子が、俯いていたその顔をゆっくりと上げる。赤く染まった眦で、その子は賽銭箱を指差した。
「あー、そういうことね」
 真新しい白木の賽銭箱が、強引にこじ開けられている。たぶん賽銭泥棒だ。こんな真っ昼間から堂々と犯罪行為とは恐れ入るけれど、いかんせん人気もなければ監視カメラもない社だから、犯人からすれば昼でも夜でも危険度に大差はなかったのだろう。
「ちょっと待ってね、警察に電話するから。で、捕まえてもらおう」
「神様への、お賽銭なのに。僕がちゃんと、守れなくて。お詣りしてくれた人にも、神様にも、申し訳なくて」
 今にも泣き出しそうに震えた声で、その子はそんなことを口にする。この神社の守り手としては立派だけれど、子供としてはあまりに不釣り合いだ。よしよしとその頭を撫でた。
 この神社の神は、自らの意思で守り手を選ぶ。そこに人間社会の常識は介在せず、こんな小さな子供が今の子の社の主人だ。
『泣いてる守り手を見て空を荒れさせるくらいなら、こんないたいけな子供を指名しないでよ』
 吐き捨てるように神へと語りかければ、呆れたような声が返ってきた。
『人間に混じり人間のフリなどしている貴様に干渉される謂れはないわ。神としての矜持すら忘れた愚か者め』
 雨音が激しくなる。傘の下に招き入れた子供が万が一にも濡れないように、傘の角度をそっと傾けながら。私はもう何百年にも及ぶ腐れ縁の神へと、にっこりと微笑みかけた。
『感情表現が全部空模様に直結されるクセを治してから、偉そうなことは言いなさい、この大馬鹿者』
 不機嫌さをあらわすように、雷鳴がひとつ轟いた。

8/19/2023, 10:50:24 PM