sairo

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目覚めてすぐに、テーブルの上の卓上カレンダーを確認する。
今日の日付に印はない。
少し気落ちしながら部屋を出て、朝の仕度を始める事にした。

またいつもと同じ、退屈な今日が始まり。未練がましくカレンダーを見ても、やはり日付にはなんの印も書いていない。
いつまで待てばいいのかと、愚痴をこぼしてカレンダーをつつき。いつもの時間通りに家を出た。


目が覚めてすぐにカレンダーを見る習慣は、どれくらい前から始まったのか。覚えていないそれは、けれども切っ掛けだけは今もはっきりと覚えている。

大切だった人からもらった贈り物。
花が好きなわたしのため、暦に合わせた花が彩りを添える、綺麗なカレンダー。
二人でカレンダーをめくり、笑い合いながら記念日に印をつけていったあの日の記憶は、忘れる事など出来るはずがない。
だから本当は、印をつけた日付はすべて覚えているし、あと何日後に何があるのかも分かっている。そもそも一月ごとにめくるカレンダーなのだから、確認するまでもなく印があるかないかは見えていた。
今日の日付に×印をつけ、なんの印もついていない日付をなぞる。
日めくりのカレンダーならば少しは空しくなくなるのかと、意味のない空想に耽りながら、変わらないであろう明日を思って目を閉じた。



目覚めてすぐ、カレンダーを確認する。
今日の日付に、ピンクのペンで可愛らしく丸がついていた。

記念日。ずっと待っていた特別な日。

うれしくなって、いつもよりも時間をかけて身だしなみを整え、お気に入りの白のワンピースに袖を通す。
カレンダーをバックに入れて、特別な赤い靴を履いて、跳ねるように家を飛び出した。


記憶をなぞるように思い出のカフェで朝食を取る。二人で何度も訪れた映画館へと足を運び、目に付いた映画を見た。
昼食は取らずに公園を散歩して、水族館で好きだったアシカのショーを見て。
夕方になって、花束を買った。色鮮やかな、夏と秋の合間に咲く花を手に、星がよく見えるようにと高い所へと上っていった。
一番高い所から、星空を見上げる。

今日は特別な日。ずっとずっと待っていた。

足を踏み出す。
空が近くなった気がして。そのまま、


「はい。そこまで」

腕を引かれる。
ぱちん、と何かが割れるような感覚がして、ふわふわとしていた意識がはっきりする。

今わたしが立っている場所を見て、ぞっとした。
マンションの屋上。フェンスの向こう側。
足下に広がる街の小さな景色に、足が竦んで動けなくなる。

「悪いな。少しだけ我慢してくれ」

腕を引いてくれた誰かの声に振り向くよりも早く、引き寄せられて浮遊感を感じ。
気づけばフェンスの内側で座り込んでいた。

「もう大丈夫か」

見上げれば、黒い男の人。
その手には見慣れたカレンダーがあり、半ば無理矢理奪うような形でカレンダーを取った。

日付を確認する。変わらずそこにはピンクの丸が書かれていて。
その丸がぐにゃりとゆがんで形を変え、文字を形作っていく。

落ちればよかったのに。

暗がりの中でも何故かはっきりと見える文字に、引き攣った声がもれてカレンダーを放り出した。
かさりと音を立てて落ちたカレンダーを男の人は拾い上げ、書かれた文字を見る。あぁ、と何かを納得したように小さく頷くと、文字を見せるようにしてカレンダーを差し出された。

「もう許してやってくれ。仕方のない事なのだから」

許すとは何を意味しているのだろう。
カレンダーを見れば、文字はまた形を変えて広がって、カレンダーを埋め尽くしていく。

許さない。落ちてしまえ。

「わ、たし。あの人に、恨まれている、の?」

怒りしか感じられないその文字達に、掠れた声がもれる。
あの人が怒っている所なんて今まで見た事がなかった。いつも怒るのはわたしの方で、あの人は少し困った顔をしながら、そんなわたしをなだめてくれていたから。
そんな優しいあの人をここまで怒らせた。憎み恨ませてしまったのか。

呆然とするわたしに、けれど男の人は静かに首を振って否定する。

「これは誰の文字だ?」

誰の。その言葉に文字を見る。
丸みを帯びた、少しクセのある字。あの人のお手本みたいに綺麗な文字とは、全然違う。
でもこの文字を、わたしはよく知っている。直そうとして、結局直す事の出来なかった文字をわたしは知っている。

これは、わたしの文字だ。

そう理解した途端、耐えきれなかった涙が溢れてきた。
思い出した。思い出してしまった。
今日がなんの日なのか。この場所がどこなのか。
カレンダーを見る習慣。その意味も全部。

「許してやれ。お前が悪い訳じゃない」

泣きじゃくるわたしに、男の人は優しく許してやれ、と繰り返す。
そんな事出来るわけがない。

わたしをわたしが一番許せないのに。


泣きながら、許さない、と声を上げる。わたしへの恨み言を何度も繰り返す。
繰り返して、けれど次第にそれは寂しい、の言葉に変わり。
結局の所、わたしはあの人がいない事が寂しいだけなのだと知った。


ごめんね。ありがとう。

カレンダーの文字が変わった事にも気づけずに、あの人がいない事にただ泣いていた。



20240912 『カレンダー』

9/12/2024, 9:36:38 PM