《梨》
 神話がどうとかで、林檎は禁断の果実らしい。原初の人類が食べた、善悪の木の実だとか。
 なら、それに似た見た目の梨は、禁忌の果実だとなるのだろうか。だったら面白い。
「……それで? 君はそれを食べたから何なのさ。禁断の果実は、人間の無垢を喪わせたというけれど、今の君が、それで何を喪うと?」
「……そうだね。きっと、私は今、純粋さを喪ったのだろうね」
「それが、原初の彼らが直面した無垢の喪失と似ているものか」
「似ているじゃあないか。そも言葉は似ているね。始まりが全く清純だったわけではないが、私にも純粋なんてものはあったからね」
「……なら、禁断の果実を食らったのは蛇が唆したとかって言うだろう」
「それの代わり? 私にこれを食うてみよ、と言ったのは誰だったかな」
「……最初から、巻き込まれていたわけか」
「この話のきっかけも私からでない、これが答えだろうよ」
「……あぁそうかよ」
 不貞腐れたように視線を逸らすから、
「なら食べてご覧よ、ほら」
 一口齧った梨を差し出すと、
「…………別に、普通の梨の味だ」
 逡巡して、一口齧ってそう言った。
「そうだろうね、まぁ。でも、なるほど、君は蛇の代わりではなかったね」
「なんだ、共に果実を喰らったから立場が変わったと?」
「いいや、違うよ。……耳まで真っ赤になった君は、梨より林檎が相応しいね」
 そう言って笑うと、
「そう言う君の、美しい若葉色の髪は、梨みたいだね!」
 と言い去ってしまった。
 もちろん、私の笑い声が上がったのは言うまでもない。
10/15/2025, 8:11:23 AM